ポジティブプラス 26

ユカリさんをマンションに招き入れて、玄関を入ったところで、私はユカリさんにキスをした。

玄関をあがり、白い大理石の上で、ユカリさんを壁に押しつけて、強引に唇を重ねた。ユカリさんはすぐにそれに応えた。彼女も分かっているようだった。私の背中に腕を回して力を込めた。

「今、すごくユカリさんが欲しいの」

私はユカリさんの額に自分の額をくっつけた。

「私もです」

ユカリさんも私の目を見つめた。

またキスをする。キスをしながら、私はユカリさんのジャケットを脱がして、ブラウスのボタンを外した。ユカリさんも同じように、私を脱がせにかかった。お互いはぎ取るようにして、すぐに下着だけになった。腰をかがめながら、私はユカリさんの胸元に舌を這わせる。

ユカリさんの口から切ないような声が洩れた。

こうして抱き合うのはいつ以来だろう。再び、こんな日が来るとは思っていなかった。私はユカリさんとは、もうないと決め込んでいたのだ。美紗子さんとの愛を貫いていくつもりだったのだ。

ユカリさんと美紗子さんに二股をかけている私は悪い女なのだろうか? でも、離れられない。二人から。

「来て」

そう言って私はユカリさんの手をとって、ベッドルームに連れて行った。ユカリさんをベッドに寝かせて、私は上に乗った。

「シャワーは?」

ユカリさんが言った。

「いらない」

私はそっけなく言って、ユカリさんの唇を貪った。今の私はまるで男と化していた。

艶めかしい白い体は懐かしい匂いがする。私の部下になったユカリさんは、本当に可愛く思えてくる。以前、ユカリさんも私に対して同じような感情を持っていたのだろうか。

美紗子さんが与えてくれたこの部屋で、ユカリさんの喘ぎ声を響かせる。それがたまらなくそそられる。

それでいい。会社の中でのし上がっていくには、そんな非常識なことも、時には厭わない。それぐらいの強欲さも必要だと思う。

「アヤ、すごく抱かれたかった……」

久しぶりにその名前で呼んでくれた。私はますます心に火が付いた。

私たちは一晩中燃え上がった。お互いに隅々まで愛し合った。今までの溜まっていた鬱憤を吐き出すように。ユカリさんも熱が入っていた。私を裏返して、背中まで舐めてくれた。

明け方、朝日が射してきたころ、ようやく眠りについた。二時間ほど仮眠しただろうか。七時半に目を覚ましすと、ユカリさんも起きていた。

「ユカリさん、ごめんなさい。私、副社長と切れることはできない……」

私は思っていたことを打ち明けた。

「なんで謝るの? それでいいのよ、アヤ。絶対に切れちゃダメよ。私は二番目でいいから」

「ユカリさん……」

「時々、こうして愛してくれれば、それで幸せだから。副社長についていって、どんどん出世して。私はその方が嬉しい」

「私もユカリさんが傍にいてくれると、すごく安心だし、仕事がしやすい。ずっと一緒にいてね」

「うん」

ユカリさんはそう言って笑った。

そろそろ仕事に行こうと思っていたころ、美紗子さんから携帯に電話が入った。

「おはようございます、お疲れ様です」

私は元気よく言った。

「ごめん、二日酔いみたいで、頭がガンガンするの。夕べ飲みすぎちゃったみたい。今日は休むから、あなたたちも休んで」

美紗子さんはそう言って電話を切った。

「やったー! 今日は会社休んでいいって」

私はテンションアップでユカリさんに言った。ユカリさんもバンザーイ、と手を上げて、子供のように喜んだ。突然の休みがこんなに嬉しいなんて、久しぶりに感じた。

「今日、どうする? もっとエッチする? それともドライブ行っちゃう?」

私は浮かれて言った。

「チーフに任せまーす」

ユカリさんも嬉しそうだ。

天気がいいのでドライブに決めた。社用車のレクサスでドライブだ。今の私にはお金は十分にあるのだ。ユカリさんと海を見に行き、美味しいものをたらふく食べた。

翌日、会社に出勤すると、社内がざわついていた。

訃報があったらしい。東海支社の支社長が心筋梗塞で急死したそうだ。東海支社は名古屋にあり、愛知、岐阜、三重を中心とする東海エリアを取り仕切る部署だ。美紗子さんは緊急の役員会に呼ばれて、朝から大忙しだった。

早急に東海支社長の後任を選任しなければならない。大方の予想は、東海支社のナンバー2が支社長に繰り上がると思われた。役員会でもそういう意見が出たそうだ。しかし、そうではなかった。

その日一日中、役員会は続いて、翌朝、美紗子さんは出勤してきて、私たちに言った。

「堂島さん、ちょっといい?」

ユカリさんは席を立って、美紗子さんの前に立った。椅子に座った美紗子さんは神妙な顔つきでユカリさんを見上げた。

「あなたに、名古屋へ行ってもらうわ」

…… え?

「東海支社の支社長が亡くなった事は知ってるわね」

「はい……」

なになに? まさか…… 私は自分の席で固まった。

「その後任にあなたが決まったの」

「ええ……?」

「私が強く、あなたを推したから」

「副社長、私にはそんな大役とても無理です」

「なに言ってるの。あなたはこの会社でも実績は十分だし、こんなところで燻ってる人材じゃないわ。私はね、あなたに本当に申し訳ないと思っていたのよ。部長まで上り詰めたあなたを花沢さんの下で働かせるなんて」

「私はそれで十分です。せっかくここにも慣れてきたのに。お願いです、ここに置いてください!」

「堂島さん……私を困らせないで」

「堂島さん、行きなさい!」

私はそう言って、席を立った。

「チーフ……」

困惑した目でユカリさんは私を見た。

「これは命令よ。人にはね、適材適所というのがあるの。あなたは私の下で指示される人間ではない。上に立って、指示を出す人間なのよ。組織の中の人間だから、上からの命令に従うのは当たり前なのよ。それを私に教えてくれたのは、あなたじゃない」

「チーフ……」

ユカリさんは涙ぐんだ。

「よかったわね。堂島さん。私も嬉しい」

やっぱりユカリさんはリーダー格の人間だ。私の下でなんか働いてほしくない。東海支社のナンバー2が支社長にならなかったのは、すでに高齢で、あと二年で定年だそうだ。そして体も病弱らしい。

思いもよらない展開になったが、東海エリアなら左遷ではなく、立派な栄転だ。名古屋なら東京に負けないぐらいの都会だし、発展途上のエリアだ。まさにユカリさんにピッタリの場所だ。

「チーフ……、ありがとうございます」

「やめてください。私に敬語なんて」

ユカリさんは涙を流した。ようやくユカリさんが彼女らしい場所へと行くことができるのだ。

ユカリさんには一週間の猶予が与えられた。急に決まったことなので、いろいろと引継ぎもあるし、残務整理もある。そして自宅でも引っ越し準備をしなければならない。

なんとなく慌ただしい日々を送った。私は私で、新しい制服のデザインを依頼するデザイナーを決めなければならなかった。それはもう私の中では決まっていた。デザイナーは業界のトップである、玉木マリエだ。

そのことを美紗子さんに言ったら、仰天していた。「マジで?」というのが第一声だった。藤沢らんの次は玉木マリエだ。アポさえ取れるかどうかわからない無謀な選択だった。しかし、私は一歩も譲る気はない。また忙しくなりそうだ。

目まぐるしく過ぎた一週間だった。

そして引っ越しの前日、私とユカリさんは当然のごとく、思いきり愛し合った。私の部屋で心ゆくまで最後の夜を愉しんだ。これで最後だと思うと本当に寂しかった。

「アヤ、世話になったわね」

情事のあと、ベッドで仰向けになったまま、ユカリさんは言った。

「それは私の方ですよ、ユカリさん。でも、いろんなことがありましたね」

「うん……そうだね。いろんなことがあったね」

「最初のころは、ユカリさんのことが嫌で嫌で、辞めることばっかり考えてました」

ユカリさんはクスクス笑った。

「私に、面と向かって大嫌いって言ったの、アヤだけよ」

それを聞いて私も笑った。

「それなのに、なんで私たち今、裸で寝てるんだろう」

「ほんと」

「浜松にも行きましたよね、二人で」

「行ったね。美味しいうな重食べたよね」

「一番の思い出ってなんですか?」

「やっぱり、アヤが初めて告白してくれたことかな。初デートで」

「富士五湖にドライブ行ったときですよね」

「そうそう、そのあとホテルに入って、お互いの勝負下着見せあったよね」

「今、考えるとバカみたいですよね」

ユカリさんはまた笑った。

2人で思い出を語り合っていると、時間は尽きなかった。明日になればユカリさんは行ってしまう。

「これからは遠距離ですね。頻繁には会えないけど名古屋に遊びに行きますね。美味しいお店探しといてくださいね。名古屋と言ったら、味噌カツかな。それとも手羽先」

「そっち? 私に会いたくて来るんじゃないの?」

「冗談ですよ」

私はユカリさんの鼻を指でつついた。

「向こうへ行っても、頑張ってくださいね」

「うん、もう気持ちは東海エリアだからね。関東エリアには負けないから」

「おお、怖い堂島さんの復活ですね。今度は堂島支社長として」

私は覚悟を決めて、モチベーションを高めたユカリさんが嬉しかった。意気揚々としている。なんだかあの頃の堂島部長の匂いがしてきた。怖い怖い堂島部長だ。今度は何人辞めていくのかな?

翌日私は、会社には普通に出勤した。ユカリさんを見送ることはしなかった。ユカリさんはそれを拒否した。「泣いてしまいそうだから、見送りはしないでね」

9時半に美紗子さんが出勤してきた。

「おはようございます」

私は挨拶を交わす。

「今日から、いないのね」

空いたユカリさんの席を見て、美紗子さんはしんみりした気持ちで言う。

「9時32分の新幹線で行きました」

「そう……。今頃は新幹線が発車したころね」

美紗子さんもどことなく元気がない。

「寂しくなりますね」

私は言った。

「そうね……」

「また副社長と二人きりですね」

美紗子さんは頷いた。

「堂島さん言ってましたよ。関東エリアには負けないって。宣戦布告してましたよ」

それを聞いて美紗子さんは表情を緩めた。

「そうなの」

「私たちもウカウカしてられませんよ。堂島さんを敵に回すと怖いですから」

「ホントね、頑張りましょ」

ガッツポーズのように拳を作って美紗子さんは言った。私は席を立って美紗子さんの前に立った。

「美紗子さん……」

私はあえて副社長とは言わなかった。

「うん? どうしたの? 会社ではその呼び方……」

「わかってます。わかってますけど、今だけ、ハグしてください」

美紗子さんは私をじっと見つめた。そして両手を広げて私を抱きしめてくれた。

「これからもよろしくお願いします」

「うん、こちらこそ」

「愛してます」

「私も。彩さんをすごく愛してるわ」

「今夜、行ってもいいですか?」

「もちろんよ。待ってる」

夕方になり、美紗子さんは一足先に会社を出て行った。

私は、ふと思い立って、元いた営業企画部が見たくなって、旧館に足を向けた。あの部屋は今どうなっているのだろうか?

渡り廊下を抜けて、営業企画部へ向かう。新社屋で毎日仕事をしていたので、旧館がやけに暗く感じた。日が暮れてきたせいではない。廊下を歩き、部屋の前まで来ると、私はドアを開けた。中はひっそりとしていた。まだ何にも使われていないようだ。

デスクが並んだままだった。パソコンは取り払われている。誰もいない部屋に私は足を踏み入れた。懐かしい匂いがする。コツコツと歩くとヒールの音が虚しく響いた。

窓からはオレンジ色の陽光が刺している。薄暗くなった室内に電気も点けず、私は感傷にひたった。今では何もない。何も聞こえない。静けさだけが私を迎えた。

ここが私の席、ここが夏目さんの席、ここが坂上君の席、ここが上田さんの席……、私はデスクを目で追った。そして窓際には堂島部長の席がある。

かつてはここで、私は日々の業務に追われていたのだ。活気があふれ、小さなことに一喜一憂して、堂島部長に怒られながら。この部屋では怒られた記憶しかないように思う。笑ったのはほんの少しだけだ。

私はミーティングルームのドアを開けた。会議用の大きなテーブルがある。そこでも幾度となく堂島部長に叱られた。ミーティングというよりも、怒られ会みたいなものだった。一つ一つの思い出が走馬灯のように脳裏に蘇る。

あの頃は本当に毎日泣きたいことばかりで、逃げ出すことを考えていたが、今では懐かしい思い出だ。

私はCM制作部のチーフマネージャーになり、堂島部長は堂島支社長になった。でも、私には堂島部長という呼び方の方がしっくりくる。

窓際の堂島部長のデスクに歩み寄る。指先でそっとデスクに触れる。そこ座った、堂島部長の怖い顔が目に浮かんだ。

「あなたは何をしに会社に来てるの!」

「こんな仕事しか出来ないなら帰りなさい!」

「何度言ったらわかるの! バカじゃないの」

「花沢さん、仕事が遅い!」

二度と立ち直れないような言葉を毎日のように浴びせられた。

もうあの声が聞こえないと思うと涙が止まらない。私の目から、涙がこぼれ落ちて、デスクを濡らした。あの叱咤激励があったから、今の私があるのだ。私が副社長に引き抜かれたとき、背中を押してくれたのが堂島部長だったのだ。

もう二度と、あの頃には戻れない。

「さようなら、堂島部長……」







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by sousaku63 | 2017-05-03 09:41 | ポジティブプラス | Comments(2)

Commented by hikotin at 2017-06-30 12:47 x
伺いました、こっちのが、興奮しちゃいますねっ、ありがとうございます。
Commented by sousaku63 at 2017-07-01 11:12
> hikotinさん
ありがとうございます。他のも読んでみてくださいね。
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