ポジティブプラス 25

ユカリさんはじっと私を見ている。

私は居心地の悪さを感じていた。こんな話するんじゃなかった。ユカリさんの問いかけに、私は何も言えなかった。まともにユカリさんの顔を見られない。

「ごめんなさい……」

私はそれだけ言うのが精いっぱいだった。

「それは、何に対して詫びてるの?」

「え?」

「今のは、何の、ごめんなさい、なの? もう、私とは終わりにして欲しいということ? あなたは副社長を選ぶということなの?」

そんなにはっきり言われると答えられない。自分でも本当にわからないのだ。ユカリさんか美紗子さんかを選ぶなんて、私には出来ないし、そんなことは考えたこともなかった。

ユカリさんにしてみれば、それは正論だし、当然はっきりさせて欲しいことだ。でなければ、ユカリさんも今後の私との接し方に困るはずだ。

「アヤ、なんのために私と話し合いたかったの? 私と腹を割って話せば、明日から楽しく仕事ができるとでも思った?」

これはキツイ状況だ。こんなことなら仕事でミスをして怒られた方がまだマシだ。私は俯いたまま、口を噤むしかなかった。

「他に話はありますか?」

「いえ……」

私は首を横に振って、消え入りそうな声で言った。

「では、今日は失礼します」

ユカリさんはそそくさとデスクの上を片づけて、席を立って部屋を出て行った。

私はしばらく立ち上がることが出来なかった。涙も出ない。自分がただただ情けなかった。ユカリさんは私の心の中を見透かしている。私が美紗子さんに好待遇されていて、美紗子さんから離れることが出来ないのも判っているのだ。

その美紗子さんと縁を切って、自分を選んでくれないことで、ユカリさんは私を軽蔑しているに違いないのだ。今のままでは、仕事の上でも、完全に指揮を乗っ取られて、やりこめられてしまう。

私の方がチーフなのに、ユカリさんは私を小バカにした態度で仕事を続けていくだろう。そして私はドンドン追い込まれて、いずれはここにもいられなくなってしまう。そんな気がするのだ。この会社でのキャリアは断然ユカリさんの方が上だ。

私は逆立ちしたって、ユカリさんの経験には敵わない。そのユカリさんから、私は信頼を得て、チーフらしいところを見せなければならない。あの人を凌ぐ仕事をするなんて、ちょっとやそっとでは出来ない。

あー、落ち込むわ。こんな危機が来るなんて思ってもみなかった。

マンションに帰っても、私の気持ちは晴れなかった。この豪華なマンションに住む資格なんて、私にあるのだろうか? 藤沢らんとの契約を決めたからと言って天狗になってやしないだろうか? 

それぐらいのことでいい気になるなと、ユカリさんに言われているような気がする。

明日からのオフィスはメチャメチャ気まずくなる。いや、それ以上に居心地が悪くなるだろう。先輩らしいところを見せたいが、私だって、そうそういいアイデアがポンポン出て来るわけではない。

美紗子さんに相談してみようか。いや、言えない。絶対にユカリさんとの関係がばれてしまう。では誰に相談しようか? そうだ、あの人だ。あの人しかいない。私は携帯を手に取って、耳にあてた。

「お疲れ様です」

私は久しぶりに聞く声で、テンションが上がった。相手は夏目さんだ。

「久しぶり! 元気?」

相変わらずハツラツとした声だ。この声を聞くと私も安心する。私は、悩みがあることを打ち明けた。

「そうなんだ。どうする? これから家に来る?」

え? 今から? 私は時計を見た。まだ夕方6時過ぎだ。会おうと思えば会える時間だ。

「じゃあ、お邪魔していいですか?」

ということで、すぐに決まった。私は車を出して、夏目さんの自宅に向かった。車は社用車だ。美紗子さんが仕事以外でも自由に使っていいと言ってくれたのだ。白いレクサスを夏目さんの家の前に停めた。

玄関を入ると夏目さんが出迎えてくれた。両親は出てこなかった。私に気を遣ったのだろう。

「どうぞ」

と言ってくれて、私は和室に通された。少し待たされて、夏目さんはお茶を持ってきてくれた。「すいません」と私は恐縮する。

「それで? 何があったの? 何でも言ってね。親にはここを開けるなって言ってあるから、安心して話してね」

ここを開けるな、なんて、鶴の恩返しじゃないんだから。

夏目さんは私の向かい側ではなく、隣に座った。私が泣いた時にすぐに肩を貸せるようにだろうか? 

「今日から、堂島部長が来たじゃないですか」

「うん、そうだよね」

「それがすごくプレッシャーで……」

私は心に思っていることを全て夏目さんにさらけ出して聞いてもらった。夏目さんは私とユカリさんとの関係を知っている。話している間、夏目さんは「うん、うん」「わかるわよ」と親身になって相槌を打ってくれる。私はそんな風に優しく聞いてくれると、つい涙ぐんでしまって、話の途中から泣き出してしまった。

「大丈夫?」

やっぱり泣いてしまった私を夏目さんは抱きしめてくれた。私は夏目さんには美紗子さんと恋愛関係にあることも告白した。それを言わないと話が前に進まない。そのくだりで夏目さんは少し驚いたが、それでも真剣に聞いてくれたのだ。

私はやっぱり夏目さんに相談してよかったと思った。

「そう、そういう状況なんだ。それはキツイよね。どっちを選んでいいか悩むのは無理ないわ。今の地位も失いたくないし、かといって、ユカリさんも放っておけないしね」

「私、もうどうしていいのか分からなくて……」

「そっかぁ……。私はてっきり彩ちゃんは副社長に気に入られて、幸せにやってるんだろうなって思ってたんだけど、そんなことになってたんだね」

「もう、いっそのこと副社長に全部打ち明けちゃおうかなって思うんです。そうすれば楽になるかなって」

「それはやめた方がいいよ。副社長がどんなに良い人だって、色恋沙汰は別だからね。修羅場になるかも知れないよ」

そうなのだ。私はそれを心配しているのだ。それがいつかばれそうで怖いのだ。

「じゃあ、彩ちゃんが抱えている問題は二つだね。一つは副社長を選ぶか、堂島さんを選ぶかということと、もう一つは堂島さんよりもいい仕事をしなければいけないってことだよね」

私は頷いた。

「仕事の方はね、私はまったく心配する必要ないと思う。彩ちゃんが自信を持ってやればいいのよ」

「そうでしょうか……」

「うん。前にね、堂島部長が言ってたんだけど、彩ちゃんは普通の人が思いつかない発想が出てくる子だって言ってたわよ」

「え? そんなこと言ってたんですか?」

「うん。私がね、彩ちゃん、副社長のとこへ行って大丈夫でしょうか? って堂島部長に言ったことがあるの。そしたらそう言ってた。だから絶対大丈夫だって」

「堂島さんがそんなことを……」

私は少し気が楽になった。ユカリさんは私をそういう目で見てくれていたんだ。そんなことユカリさんから聞いたことはなかった。

「今回の仕事だってそうじゃない。あの藤沢らんとの契約を勝ち取ったんでしょ。それだって凄いよ。堂島部長なら出来なかったと思う。まずCMに藤沢らんを起用しようという発想が出てこないわ。私だったらコストが掛からないように安く済ませちゃうと思う。それでありきたりのCMにすると思うわ。でも、彩ちゃんは違うでしょ。どれだけお金を掛けてもいいから、藤沢らんを使いたいと思ったんでしょ。それを実現しちゃうんだからすごいよ」

あれはたまたま彼女のスケジュールが空いていただけだ。私がすごいわけではない。でも、夏目さんにそう言われると自信が沸いてくる。

「彩ちゃん、もっと自信を持って、堂島部長に、私について来い! ぐらいのこと言っちゃいなさいよ。あなたには誰にも負けない才能があるの。だから副社長だってあなたを引き抜いたんだと思うわよ」

「夏目さーん」

私はまた涙が出て来た。まるで子供のように夏目さんの胸で私は泣いた。夏目さんの言葉で吹っ切れた気がした。そして夏目さんは言った。

「堂島部長を選ぶか、副社長を選ぶかは、まだ答えを出さなくていいんじゃないの? 私はそう思うよ」

そうだ。今は仕事に没頭しよう。答えはそのうち出る。

私は夏目さんにお礼を言って、9時前に帰路に就いた。すごく気が楽になった。よし! 明日から頑張ろう。

翌朝、出勤した私はオフィスでユカリさんに言った。ユカリさんはもう来ていた。

「堂島さん」

私はあえて。そう呼んだ。

「はい」

「あなたを選ぶか、副社長を選ぶかは、まだ答えが出せません。それよりも今は仕事に集中したいと思いますので、よろしくお願いします」

私は堂々と、ユカリさんの目を見て言った。私について来い、とは言えなかった。

「こちらこそ」

表情を隠してか、ユカリさんは、そう返事をした。どう思ったかは分からない。もうそんなことは気にしない。

すぐに美紗子さんが入ってきた。

「おはようございます」と朝の挨拶をかわす。

私はすぐに美紗子さんに言った。

「もう一度、商品開発部に行ってよろしいでしょうか? 新商品の売り方を綿密に打ち合わせたいのですが」

「わかったわ。あなたに任せる。好きなようにしてちょうだい」

美紗子さんは笑顔でそう言った。

行く前に商品開発部に連絡して、先方の都合を聞いた。OKの返事をもらったところで、私はノートと資料を持って準備をした。

「堂島さん、行きますよ」

「はい」

ユカリさんは元気よく返事をして、席を立った。

私は先頭をきって、いざ出陣とばかりに部屋を出た。廊下を歩いていると、ユカリさんが小走りになってエレベータのボタンを押した。

商品開発部には上田さんがいた。そうだ、彼はここに配属になったのだ。

「お久しぶり、花沢さんの活躍は聞いてるよ。頑張ってるみたいだね」

冷やかし半分に上田さんに言われた。私は謙遜の言葉を言って、担当の飯田さんを呼んでもらった。飯田美智子さんは私と同じぐらいの年齢で、この商品開発部でもよく頑張っている女の子だった。

何を慌てているのか、飯田さんは少し小走りにミーティングルームに入ってきた。

「おはようございます」

緊張気味に飯田さんが言った。

「お忙しいとこすいません。もう一度、新商品について伺いたくて」

私がそう言うと、飯田さんは「どうぞ」と言って、椅子を勧めてくれた。私とユカリさんは椅子に座ってノートを開く。

飯田さんに新商品をどんな風に売って欲しいのかを聞く。そして、その商品の特徴。彼女は店舗で出すコーヒーよりも渋みを抑えたところだと言った。その辺りもCMで宣伝して欲しいとのことだった。

30分ほど、打ち合わせたあとで、私たちはオフィスに戻り、今日中に大筋のCM構想を練った。明日早速、広告代理店に持っていくためだった。藤沢らんのお陰で各店舗の売上も順調に伸びていた。お店の店内にはイメージキャラクターになった、藤沢らんのタペストリーが掛けてある。

それも私の手柄だと思うと気分がいい。

約一か月後に第二弾の新CMが流された。コンビニで藤沢らんが我が社の商品を買うシーンで、ストローでそのコーヒーを飲むところが愛あらしくていいと視聴者からは好評だった。最後の決めゼリフ「そんなに渋くないんだ。これも好きかも」と言って藤沢らんが微笑む。これは私が考えたセリフだった。

コンビニでその商品を売り出した途端に売り切れになった。品薄になるという嬉しい悲鳴があがったほどだ。その報告を聞いて、私たちCM制作部は歓喜の声をあげた。

「今日は三人で祝杯よ」

美紗子さんはテンションMAXで言った。

祝勝会は一度だけ連れてきてもらったことのある中華の店だった。真ん中のターンテーブルを回して料理を取る本格的なお店だ。

「さあ、みんなどんどん注文してね。今日は私の奢りだからね」

三人で席に付くと美紗子さんは言った。私たちは大きな声で返事をして、メニューに目を向ける。

「副社長、また経費で落とすんですか?」

私はジョークで言った。

「そういうことは大きな声で言わないの」

副社長も人差し指を口に当てて、私のジョークに応える。

注文した料理が次々と運ばれてきて、私たちはそれを口に運んだ。みんな「美味しい」を連発した。

こんな風にしてユカリさんと美紗子さんと三人で宴会が出来るなんて思ってもみなかった。本当に奇妙な組み合わせだ。美紗子さんだけが私とユカリさんの関係を知らない。それが心苦しかった。

「二人とも、今回は本当によくやってくれたわね。お疲れさま」

宴もたけなわになったころ、美紗子さんは言った。

「いえ、私は何も。ほとんど花沢チーフの仕事でしたから」

ユカリさんはそう言って謙遜した。

「そんなことないですよ。堂島さんの支えがあったから、やれた仕事ですよ」

「そうね、花沢さん、これからもお願いね。どんどんいい仕事をして、会社に貢献してね。堂島さんもお願いね」

ワイングラスを片手に美紗子さんは言った。

CMを流すようになってから、会社の収益はうなぎ上りに上がってきた。自分の頑張りが数字に表れるとやっぱり嬉しい。それに伴って、私の給料も増えてきた。会社も忙しくなり、暇なセクションは存在しない。どこも人手が足りないくらいだった。

美紗子さんが用意してくれたマンションに見合った仕事をしなければならない。そのプレッシャーが少しは楽になった。

「店舗の方も人手が足りなくてね、アルバイトの募集をかけてるけど、なかなか応募がないのよ。珈琲貴族の仕事は激務だという噂が流れてるみたいなの」

美紗子さんは言った。

「副社長、思い切って、お店の制服のデザインを変えてみてはいかがですか? 著名なデザイナーに頼んでデザインしてもらうんです。それだけでも話題性があるし、可愛い制服だったら、それを着たいという女の子が応募してくるかも知れませんよ」

私は提案した。制服は創業以来二十年間変わっていない。少し時代遅れのデザインだ。

「ああ、そうね。いいかも知れないわね。じゃ、役員会にかけてみるわ」

ということで、美紗子さんも私の提案に乗り気になった。

祝勝会の帰り道、私とユカリさんは風に当たりながら肩を並べて歩いた。私のマンションは歩いて帰れる距離だった。ユカリさんは会社に戻って、仮眠室に泊まると言った。美紗子さんはタクシーで帰っていった。三人ともアルコールを飲んでいる。

「今日は楽しかったなぁ」

「そうですね。私もお腹いっぱいです」

ユカリさんは言った。

「でも、やっぱりチーフはすごいです。これだけの仕事をするんですから。会社は一気に忙しくなったみたいですから」

「そんなことないですよ。私なんかぜんぜんです。ユカリさんが今まで乗り越えてきた苦労に比べたら序の口ですよ」

「いいえ、私にはチーフのような仕事はできません。CM制作部に来た時、本当はどうしようかと思ってたんです。私に務まるのかって、ぜんぜん自信がなくて不安だらけだったんですよ」

そうなの? ぜんぜん知らなかった。ユカリさんでも、そんなにプレッシャー感じることがあるんだ。

「それに私たちのこともあったから、チーフとどう接していいか分からなくて、気まずさもありましたから」

それは私も感じていた。

「でも、そんな不安も取り越し苦労でした。チーフは私をグイグイ引っ張ってくれて、とても安心できました」

「ごめんなさい、わがままばっかり言って。大変だったでしょ」

「いえ。私、今すごく仕事が楽しいです。チーフと一緒にやれて」

「ユカリさん……ホントにそう思ってくれるの?」

「はい。チーフが、私を選ぶか、副社長を選ぶかなんて、もうどうでもいいです。チーフと一緒に仕事が出来れば、それで幸せです。これからはドンドンチーフを支えていきます。遠慮せずに何でも命令してくださいね。ずっとチーフについていきます」

どこかで聞いたセリフだ。それはかつて、私がユカリさんに言った言葉だ。

「ユカリさん……ありがとう」

ユカリさんは顔に清々しい笑顔を張りつかせて私を見つめた。

私たちは通りを外れて、細い路地に入った。めっきりと人通りが減った。私は猛烈にユカリさんが可愛く思えた。そして思わずユカリさんを抱きしめた。まばらに歩く通行人が、私たちに目を向けて、見て見ぬ振りをして通り過ぎていく。

「ユカリさん、今夜ウチに来て。朝まで一緒にいよ」

「はい。チーフ」

ユカリさんは従順に言った。


つづく・・・



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by sousaku63 | 2017-05-03 09:33 | ポジティブプラス | Comments(0)

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