ポジティブプラス 26

ユカリさんをマンションに招き入れて、玄関を入ったところで、私はユカリさんにキスをした。

玄関をあがり、白い大理石の上で、ユカリさんを壁に押しつけて、強引に唇を重ねた。ユカリさんはすぐにそれに応えた。彼女も分かっているようだった。私の背中に腕を回して力を込めた。

「今、すごくユカリさんが欲しいの」

私はユカリさんの額に自分の額をくっつけた。

「私もです」

ユカリさんも私の目を見つめた。

またキスをする。キスをしながら、私はユカリさんのジャケットを脱がして、ブラウスのボタンを外した。ユカリさんも同じように、私を脱がせにかかった。お互いはぎ取るようにして、すぐに下着だけになった。腰をかがめながら、私はユカリさんの胸元に舌を這わせる。

ユカリさんの口から切ないような声が洩れた。

こうして抱き合うのはいつ以来だろう。再び、こんな日が来るとは思っていなかった。私はユカリさんとは、もうないと決め込んでいたのだ。美紗子さんとの愛を貫いていくつもりだったのだ。

ユカリさんと美紗子さんに二股をかけている私は悪い女なのだろうか? でも、離れられない。二人から。

「来て」

そう言って私はユカリさんの手をとって、ベッドルームに連れて行った。ユカリさんをベッドに寝かせて、私は上に乗った。

「シャワーは?」

ユカリさんが言った。

「いらない」

私はそっけなく言って、ユカリさんの唇を貪った。今の私はまるで男と化していた。

艶めかしい白い体は懐かしい匂いがする。私の部下になったユカリさんは、本当に可愛く思えてくる。以前、ユカリさんも私に対して同じような感情を持っていたのだろうか。

美紗子さんが与えてくれたこの部屋で、ユカリさんの喘ぎ声を響かせる。それがたまらなくそそられる。

それでいい。会社の中でのし上がっていくには、そんな非常識なことも、時には厭わない。それぐらいの強欲さも必要だと思う。

「アヤ、すごく抱かれたかった……」

久しぶりにその名前で呼んでくれた。私はますます心に火が付いた。

私たちは一晩中燃え上がった。お互いに隅々まで愛し合った。今までの溜まっていた鬱憤を吐き出すように。ユカリさんも熱が入っていた。私を裏返して、背中まで舐めてくれた。

明け方、朝日が射してきたころ、ようやく眠りについた。二時間ほど仮眠しただろうか。七時半に目を覚ましすと、ユカリさんも起きていた。

「ユカリさん、ごめんなさい。私、副社長と切れることはできない……」

私は思っていたことを打ち明けた。

「なんで謝るの? それでいいのよ、アヤ。絶対に切れちゃダメよ。私は二番目でいいから」

「ユカリさん……」

「時々、こうして愛してくれれば、それで幸せだから。副社長についていって、どんどん出世して。私はその方が嬉しい」

「私もユカリさんが傍にいてくれると、すごく安心だし、仕事がしやすい。ずっと一緒にいてね」

「うん」

ユカリさんはそう言って笑った。

そろそろ仕事に行こうと思っていたころ、美紗子さんから携帯に電話が入った。

「おはようございます、お疲れ様です」

私は元気よく言った。

「ごめん、二日酔いみたいで、頭がガンガンするの。夕べ飲みすぎちゃったみたい。今日は休むから、あなたたちも休んで」

美紗子さんはそう言って電話を切った。

「やったー! 今日は会社休んでいいって」

私はテンションアップでユカリさんに言った。ユカリさんもバンザーイ、と手を上げて、子供のように喜んだ。突然の休みがこんなに嬉しいなんて、久しぶりに感じた。

「今日、どうする? もっとエッチする? それともドライブ行っちゃう?」

私は浮かれて言った。

「チーフに任せまーす」

ユカリさんも嬉しそうだ。

天気がいいのでドライブに決めた。社用車のレクサスでドライブだ。今の私にはお金は十分にあるのだ。ユカリさんと海を見に行き、美味しいものをたらふく食べた。

翌日、会社に出勤すると、社内がざわついていた。

訃報があったらしい。東海支社の支社長が心筋梗塞で急死したそうだ。東海支社は名古屋にあり、愛知、岐阜、三重を中心とする東海エリアを取り仕切る部署だ。美紗子さんは緊急の役員会に呼ばれて、朝から大忙しだった。

早急に東海支社長の後任を選任しなければならない。大方の予想は、東海支社のナンバー2が支社長に繰り上がると思われた。役員会でもそういう意見が出たそうだ。しかし、そうではなかった。

その日一日中、役員会は続いて、翌朝、美紗子さんは出勤してきて、私たちに言った。

「堂島さん、ちょっといい?」

ユカリさんは席を立って、美紗子さんの前に立った。椅子に座った美紗子さんは神妙な顔つきでユカリさんを見上げた。

「あなたに、名古屋へ行ってもらうわ」

…… え?

「東海支社の支社長が亡くなった事は知ってるわね」

「はい……」

なになに? まさか…… 私は自分の席で固まった。

「その後任にあなたが決まったの」

「ええ……?」

「私が強く、あなたを推したから」

「副社長、私にはそんな大役とても無理です」

「なに言ってるの。あなたはこの会社でも実績は十分だし、こんなところで燻ってる人材じゃないわ。私はね、あなたに本当に申し訳ないと思っていたのよ。部長まで上り詰めたあなたを花沢さんの下で働かせるなんて」

「私はそれで十分です。せっかくここにも慣れてきたのに。お願いです、ここに置いてください!」

「堂島さん……私を困らせないで」

「堂島さん、行きなさい!」

私はそう言って、席を立った。

「チーフ……」

困惑した目でユカリさんは私を見た。

「これは命令よ。人にはね、適材適所というのがあるの。あなたは私の下で指示される人間ではない。上に立って、指示を出す人間なのよ。組織の中の人間だから、上からの命令に従うのは当たり前なのよ。それを私に教えてくれたのは、あなたじゃない」

「チーフ……」

ユカリさんは涙ぐんだ。

「よかったわね。堂島さん。私も嬉しい」

やっぱりユカリさんはリーダー格の人間だ。私の下でなんか働いてほしくない。東海支社のナンバー2が支社長にならなかったのは、すでに高齢で、あと二年で定年だそうだ。そして体も病弱らしい。

思いもよらない展開になったが、東海エリアなら左遷ではなく、立派な栄転だ。名古屋なら東京に負けないぐらいの都会だし、発展途上のエリアだ。まさにユカリさんにピッタリの場所だ。

「チーフ……、ありがとうございます」

「やめてください。私に敬語なんて」

ユカリさんは涙を流した。ようやくユカリさんが彼女らしい場所へと行くことができるのだ。

ユカリさんには一週間の猶予が与えられた。急に決まったことなので、いろいろと引継ぎもあるし、残務整理もある。そして自宅でも引っ越し準備をしなければならない。

なんとなく慌ただしい日々を送った。私は私で、新しい制服のデザインを依頼するデザイナーを決めなければならなかった。それはもう私の中では決まっていた。デザイナーは業界のトップである、玉木マリエだ。

そのことを美紗子さんに言ったら、仰天していた。「マジで?」というのが第一声だった。藤沢らんの次は玉木マリエだ。アポさえ取れるかどうかわからない無謀な選択だった。しかし、私は一歩も譲る気はない。また忙しくなりそうだ。

目まぐるしく過ぎた一週間だった。

そして引っ越しの前日、私とユカリさんは当然のごとく、思いきり愛し合った。私の部屋で心ゆくまで最後の夜を愉しんだ。これで最後だと思うと本当に寂しかった。

「アヤ、世話になったわね」

情事のあと、ベッドで仰向けになったまま、ユカリさんは言った。

「それは私の方ですよ、ユカリさん。でも、いろんなことがありましたね」

「うん……そうだね。いろんなことがあったね」

「最初のころは、ユカリさんのことが嫌で嫌で、辞めることばっかり考えてました」

ユカリさんはクスクス笑った。

「私に、面と向かって大嫌いって言ったの、アヤだけよ」

それを聞いて私も笑った。

「それなのに、なんで私たち今、裸で寝てるんだろう」

「ほんと」

「浜松にも行きましたよね、二人で」

「行ったね。美味しいうな重食べたよね」

「一番の思い出ってなんですか?」

「やっぱり、アヤが初めて告白してくれたことかな。初デートで」

「富士五湖にドライブ行ったときですよね」

「そうそう、そのあとホテルに入って、お互いの勝負下着見せあったよね」

「今、考えるとバカみたいですよね」

ユカリさんはまた笑った。

2人で思い出を語り合っていると、時間は尽きなかった。明日になればユカリさんは行ってしまう。

「これからは遠距離ですね。頻繁には会えないけど名古屋に遊びに行きますね。美味しいお店探しといてくださいね。名古屋と言ったら、味噌カツかな。それとも手羽先」

「そっち? 私に会いたくて来るんじゃないの?」

「冗談ですよ」

私はユカリさんの鼻を指でつついた。

「向こうへ行っても、頑張ってくださいね」

「うん、もう気持ちは東海エリアだからね。関東エリアには負けないから」

「おお、怖い堂島さんの復活ですね。今度は堂島支社長として」

私は覚悟を決めて、モチベーションを高めたユカリさんが嬉しかった。意気揚々としている。なんだかあの頃の堂島部長の匂いがしてきた。怖い怖い堂島部長だ。今度は何人辞めていくのかな?

翌日私は、会社には普通に出勤した。ユカリさんを見送ることはしなかった。ユカリさんはそれを拒否した。「泣いてしまいそうだから、見送りはしないでね」

9時半に美紗子さんが出勤してきた。

「おはようございます」

私は挨拶を交わす。

「今日から、いないのね」

空いたユカリさんの席を見て、美紗子さんはしんみりした気持ちで言う。

「9時32分の新幹線で行きました」

「そう……。今頃は新幹線が発車したころね」

美紗子さんもどことなく元気がない。

「寂しくなりますね」

私は言った。

「そうね……」

「また副社長と二人きりですね」

美紗子さんは頷いた。

「堂島さん言ってましたよ。関東エリアには負けないって。宣戦布告してましたよ」

それを聞いて美紗子さんは表情を緩めた。

「そうなの」

「私たちもウカウカしてられませんよ。堂島さんを敵に回すと怖いですから」

「ホントね、頑張りましょ」

ガッツポーズのように拳を作って美紗子さんは言った。私は席を立って美紗子さんの前に立った。

「美紗子さん……」

私はあえて副社長とは言わなかった。

「うん? どうしたの? 会社ではその呼び方……」

「わかってます。わかってますけど、今だけ、ハグしてください」

美紗子さんは私をじっと見つめた。そして両手を広げて私を抱きしめてくれた。

「これからもよろしくお願いします」

「うん、こちらこそ」

「愛してます」

「私も。彩さんをすごく愛してるわ」

「今夜、行ってもいいですか?」

「もちろんよ。待ってる」

夕方になり、美紗子さんは一足先に会社を出て行った。

私は、ふと思い立って、元いた営業企画部が見たくなって、旧館に足を向けた。あの部屋は今どうなっているのだろうか?

渡り廊下を抜けて、営業企画部へ向かう。新社屋で毎日仕事をしていたので、旧館がやけに暗く感じた。日が暮れてきたせいではない。廊下を歩き、部屋の前まで来ると、私はドアを開けた。中はひっそりとしていた。まだ何にも使われていないようだ。

デスクが並んだままだった。パソコンは取り払われている。誰もいない部屋に私は足を踏み入れた。懐かしい匂いがする。コツコツと歩くとヒールの音が虚しく響いた。

窓からはオレンジ色の陽光が刺している。薄暗くなった室内に電気も点けず、私は感傷にひたった。今では何もない。何も聞こえない。静けさだけが私を迎えた。

ここが私の席、ここが夏目さんの席、ここが坂上君の席、ここが上田さんの席……、私はデスクを目で追った。そして窓際には堂島部長の席がある。

かつてはここで、私は日々の業務に追われていたのだ。活気があふれ、小さなことに一喜一憂して、堂島部長に怒られながら。この部屋では怒られた記憶しかないように思う。笑ったのはほんの少しだけだ。

私はミーティングルームのドアを開けた。会議用の大きなテーブルがある。そこでも幾度となく堂島部長に叱られた。ミーティングというよりも、怒られ会みたいなものだった。一つ一つの思い出が走馬灯のように脳裏に蘇る。

あの頃は本当に毎日泣きたいことばかりで、逃げ出すことを考えていたが、今では懐かしい思い出だ。

私はCM制作部のチーフマネージャーになり、堂島部長は堂島支社長になった。でも、私には堂島部長という呼び方の方がしっくりくる。

窓際の堂島部長のデスクに歩み寄る。指先でそっとデスクに触れる。そこ座った、堂島部長の怖い顔が目に浮かんだ。

「あなたは何をしに会社に来てるの!」

「こんな仕事しか出来ないなら帰りなさい!」

「何度言ったらわかるの! バカじゃないの」

「花沢さん、仕事が遅い!」

二度と立ち直れないような言葉を毎日のように浴びせられた。

もうあの声が聞こえないと思うと涙が止まらない。私の目から、涙がこぼれ落ちて、デスクを濡らした。あの叱咤激励があったから、今の私があるのだ。私が副社長に引き抜かれたとき、背中を押してくれたのが堂島部長だったのだ。

もう二度と、あの頃には戻れない。

「さようなら、堂島部長……」







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# by sousaku63 | 2017-05-03 09:41 | ポジティブプラス

ポジティブプラス 25

ユカリさんはじっと私を見ている。

私は居心地の悪さを感じていた。こんな話するんじゃなかった。ユカリさんの問いかけに、私は何も言えなかった。まともにユカリさんの顔を見られない。

「ごめんなさい……」

私はそれだけ言うのが精いっぱいだった。

「それは、何に対して詫びてるの?」

「え?」

「今のは、何の、ごめんなさい、なの? もう、私とは終わりにして欲しいということ? あなたは副社長を選ぶということなの?」

そんなにはっきり言われると答えられない。自分でも本当にわからないのだ。ユカリさんか美紗子さんかを選ぶなんて、私には出来ないし、そんなことは考えたこともなかった。

ユカリさんにしてみれば、それは正論だし、当然はっきりさせて欲しいことだ。でなければ、ユカリさんも今後の私との接し方に困るはずだ。

「アヤ、なんのために私と話し合いたかったの? 私と腹を割って話せば、明日から楽しく仕事ができるとでも思った?」

これはキツイ状況だ。こんなことなら仕事でミスをして怒られた方がまだマシだ。私は俯いたまま、口を噤むしかなかった。

「他に話はありますか?」

「いえ……」

私は首を横に振って、消え入りそうな声で言った。

「では、今日は失礼します」

ユカリさんはそそくさとデスクの上を片づけて、席を立って部屋を出て行った。

私はしばらく立ち上がることが出来なかった。涙も出ない。自分がただただ情けなかった。ユカリさんは私の心の中を見透かしている。私が美紗子さんに好待遇されていて、美紗子さんから離れることが出来ないのも判っているのだ。

その美紗子さんと縁を切って、自分を選んでくれないことで、ユカリさんは私を軽蔑しているに違いないのだ。今のままでは、仕事の上でも、完全に指揮を乗っ取られて、やりこめられてしまう。

私の方がチーフなのに、ユカリさんは私を小バカにした態度で仕事を続けていくだろう。そして私はドンドン追い込まれて、いずれはここにもいられなくなってしまう。そんな気がするのだ。この会社でのキャリアは断然ユカリさんの方が上だ。

私は逆立ちしたって、ユカリさんの経験には敵わない。そのユカリさんから、私は信頼を得て、チーフらしいところを見せなければならない。あの人を凌ぐ仕事をするなんて、ちょっとやそっとでは出来ない。

あー、落ち込むわ。こんな危機が来るなんて思ってもみなかった。

マンションに帰っても、私の気持ちは晴れなかった。この豪華なマンションに住む資格なんて、私にあるのだろうか? 藤沢らんとの契約を決めたからと言って天狗になってやしないだろうか? 

それぐらいのことでいい気になるなと、ユカリさんに言われているような気がする。

明日からのオフィスはメチャメチャ気まずくなる。いや、それ以上に居心地が悪くなるだろう。先輩らしいところを見せたいが、私だって、そうそういいアイデアがポンポン出て来るわけではない。

美紗子さんに相談してみようか。いや、言えない。絶対にユカリさんとの関係がばれてしまう。では誰に相談しようか? そうだ、あの人だ。あの人しかいない。私は携帯を手に取って、耳にあてた。

「お疲れ様です」

私は久しぶりに聞く声で、テンションが上がった。相手は夏目さんだ。

「久しぶり! 元気?」

相変わらずハツラツとした声だ。この声を聞くと私も安心する。私は、悩みがあることを打ち明けた。

「そうなんだ。どうする? これから家に来る?」

え? 今から? 私は時計を見た。まだ夕方6時過ぎだ。会おうと思えば会える時間だ。

「じゃあ、お邪魔していいですか?」

ということで、すぐに決まった。私は車を出して、夏目さんの自宅に向かった。車は社用車だ。美紗子さんが仕事以外でも自由に使っていいと言ってくれたのだ。白いレクサスを夏目さんの家の前に停めた。

玄関を入ると夏目さんが出迎えてくれた。両親は出てこなかった。私に気を遣ったのだろう。

「どうぞ」

と言ってくれて、私は和室に通された。少し待たされて、夏目さんはお茶を持ってきてくれた。「すいません」と私は恐縮する。

「それで? 何があったの? 何でも言ってね。親にはここを開けるなって言ってあるから、安心して話してね」

ここを開けるな、なんて、鶴の恩返しじゃないんだから。

夏目さんは私の向かい側ではなく、隣に座った。私が泣いた時にすぐに肩を貸せるようにだろうか? 

「今日から、堂島部長が来たじゃないですか」

「うん、そうだよね」

「それがすごくプレッシャーで……」

私は心に思っていることを全て夏目さんにさらけ出して聞いてもらった。夏目さんは私とユカリさんとの関係を知っている。話している間、夏目さんは「うん、うん」「わかるわよ」と親身になって相槌を打ってくれる。私はそんな風に優しく聞いてくれると、つい涙ぐんでしまって、話の途中から泣き出してしまった。

「大丈夫?」

やっぱり泣いてしまった私を夏目さんは抱きしめてくれた。私は夏目さんには美紗子さんと恋愛関係にあることも告白した。それを言わないと話が前に進まない。そのくだりで夏目さんは少し驚いたが、それでも真剣に聞いてくれたのだ。

私はやっぱり夏目さんに相談してよかったと思った。

「そう、そういう状況なんだ。それはキツイよね。どっちを選んでいいか悩むのは無理ないわ。今の地位も失いたくないし、かといって、ユカリさんも放っておけないしね」

「私、もうどうしていいのか分からなくて……」

「そっかぁ……。私はてっきり彩ちゃんは副社長に気に入られて、幸せにやってるんだろうなって思ってたんだけど、そんなことになってたんだね」

「もう、いっそのこと副社長に全部打ち明けちゃおうかなって思うんです。そうすれば楽になるかなって」

「それはやめた方がいいよ。副社長がどんなに良い人だって、色恋沙汰は別だからね。修羅場になるかも知れないよ」

そうなのだ。私はそれを心配しているのだ。それがいつかばれそうで怖いのだ。

「じゃあ、彩ちゃんが抱えている問題は二つだね。一つは副社長を選ぶか、堂島さんを選ぶかということと、もう一つは堂島さんよりもいい仕事をしなければいけないってことだよね」

私は頷いた。

「仕事の方はね、私はまったく心配する必要ないと思う。彩ちゃんが自信を持ってやればいいのよ」

「そうでしょうか……」

「うん。前にね、堂島部長が言ってたんだけど、彩ちゃんは普通の人が思いつかない発想が出てくる子だって言ってたわよ」

「え? そんなこと言ってたんですか?」

「うん。私がね、彩ちゃん、副社長のとこへ行って大丈夫でしょうか? って堂島部長に言ったことがあるの。そしたらそう言ってた。だから絶対大丈夫だって」

「堂島さんがそんなことを……」

私は少し気が楽になった。ユカリさんは私をそういう目で見てくれていたんだ。そんなことユカリさんから聞いたことはなかった。

「今回の仕事だってそうじゃない。あの藤沢らんとの契約を勝ち取ったんでしょ。それだって凄いよ。堂島部長なら出来なかったと思う。まずCMに藤沢らんを起用しようという発想が出てこないわ。私だったらコストが掛からないように安く済ませちゃうと思う。それでありきたりのCMにすると思うわ。でも、彩ちゃんは違うでしょ。どれだけお金を掛けてもいいから、藤沢らんを使いたいと思ったんでしょ。それを実現しちゃうんだからすごいよ」

あれはたまたま彼女のスケジュールが空いていただけだ。私がすごいわけではない。でも、夏目さんにそう言われると自信が沸いてくる。

「彩ちゃん、もっと自信を持って、堂島部長に、私について来い! ぐらいのこと言っちゃいなさいよ。あなたには誰にも負けない才能があるの。だから副社長だってあなたを引き抜いたんだと思うわよ」

「夏目さーん」

私はまた涙が出て来た。まるで子供のように夏目さんの胸で私は泣いた。夏目さんの言葉で吹っ切れた気がした。そして夏目さんは言った。

「堂島部長を選ぶか、副社長を選ぶかは、まだ答えを出さなくていいんじゃないの? 私はそう思うよ」

そうだ。今は仕事に没頭しよう。答えはそのうち出る。

私は夏目さんにお礼を言って、9時前に帰路に就いた。すごく気が楽になった。よし! 明日から頑張ろう。

翌朝、出勤した私はオフィスでユカリさんに言った。ユカリさんはもう来ていた。

「堂島さん」

私はあえて。そう呼んだ。

「はい」

「あなたを選ぶか、副社長を選ぶかは、まだ答えが出せません。それよりも今は仕事に集中したいと思いますので、よろしくお願いします」

私は堂々と、ユカリさんの目を見て言った。私について来い、とは言えなかった。

「こちらこそ」

表情を隠してか、ユカリさんは、そう返事をした。どう思ったかは分からない。もうそんなことは気にしない。

すぐに美紗子さんが入ってきた。

「おはようございます」と朝の挨拶をかわす。

私はすぐに美紗子さんに言った。

「もう一度、商品開発部に行ってよろしいでしょうか? 新商品の売り方を綿密に打ち合わせたいのですが」

「わかったわ。あなたに任せる。好きなようにしてちょうだい」

美紗子さんは笑顔でそう言った。

行く前に商品開発部に連絡して、先方の都合を聞いた。OKの返事をもらったところで、私はノートと資料を持って準備をした。

「堂島さん、行きますよ」

「はい」

ユカリさんは元気よく返事をして、席を立った。

私は先頭をきって、いざ出陣とばかりに部屋を出た。廊下を歩いていると、ユカリさんが小走りになってエレベータのボタンを押した。

商品開発部には上田さんがいた。そうだ、彼はここに配属になったのだ。

「お久しぶり、花沢さんの活躍は聞いてるよ。頑張ってるみたいだね」

冷やかし半分に上田さんに言われた。私は謙遜の言葉を言って、担当の飯田さんを呼んでもらった。飯田美智子さんは私と同じぐらいの年齢で、この商品開発部でもよく頑張っている女の子だった。

何を慌てているのか、飯田さんは少し小走りにミーティングルームに入ってきた。

「おはようございます」

緊張気味に飯田さんが言った。

「お忙しいとこすいません。もう一度、新商品について伺いたくて」

私がそう言うと、飯田さんは「どうぞ」と言って、椅子を勧めてくれた。私とユカリさんは椅子に座ってノートを開く。

飯田さんに新商品をどんな風に売って欲しいのかを聞く。そして、その商品の特徴。彼女は店舗で出すコーヒーよりも渋みを抑えたところだと言った。その辺りもCMで宣伝して欲しいとのことだった。

30分ほど、打ち合わせたあとで、私たちはオフィスに戻り、今日中に大筋のCM構想を練った。明日早速、広告代理店に持っていくためだった。藤沢らんのお陰で各店舗の売上も順調に伸びていた。お店の店内にはイメージキャラクターになった、藤沢らんのタペストリーが掛けてある。

それも私の手柄だと思うと気分がいい。

約一か月後に第二弾の新CMが流された。コンビニで藤沢らんが我が社の商品を買うシーンで、ストローでそのコーヒーを飲むところが愛あらしくていいと視聴者からは好評だった。最後の決めゼリフ「そんなに渋くないんだ。これも好きかも」と言って藤沢らんが微笑む。これは私が考えたセリフだった。

コンビニでその商品を売り出した途端に売り切れになった。品薄になるという嬉しい悲鳴があがったほどだ。その報告を聞いて、私たちCM制作部は歓喜の声をあげた。

「今日は三人で祝杯よ」

美紗子さんはテンションMAXで言った。

祝勝会は一度だけ連れてきてもらったことのある中華の店だった。真ん中のターンテーブルを回して料理を取る本格的なお店だ。

「さあ、みんなどんどん注文してね。今日は私の奢りだからね」

三人で席に付くと美紗子さんは言った。私たちは大きな声で返事をして、メニューに目を向ける。

「副社長、また経費で落とすんですか?」

私はジョークで言った。

「そういうことは大きな声で言わないの」

副社長も人差し指を口に当てて、私のジョークに応える。

注文した料理が次々と運ばれてきて、私たちはそれを口に運んだ。みんな「美味しい」を連発した。

こんな風にしてユカリさんと美紗子さんと三人で宴会が出来るなんて思ってもみなかった。本当に奇妙な組み合わせだ。美紗子さんだけが私とユカリさんの関係を知らない。それが心苦しかった。

「二人とも、今回は本当によくやってくれたわね。お疲れさま」

宴もたけなわになったころ、美紗子さんは言った。

「いえ、私は何も。ほとんど花沢チーフの仕事でしたから」

ユカリさんはそう言って謙遜した。

「そんなことないですよ。堂島さんの支えがあったから、やれた仕事ですよ」

「そうね、花沢さん、これからもお願いね。どんどんいい仕事をして、会社に貢献してね。堂島さんもお願いね」

ワイングラスを片手に美紗子さんは言った。

CMを流すようになってから、会社の収益はうなぎ上りに上がってきた。自分の頑張りが数字に表れるとやっぱり嬉しい。それに伴って、私の給料も増えてきた。会社も忙しくなり、暇なセクションは存在しない。どこも人手が足りないくらいだった。

美紗子さんが用意してくれたマンションに見合った仕事をしなければならない。そのプレッシャーが少しは楽になった。

「店舗の方も人手が足りなくてね、アルバイトの募集をかけてるけど、なかなか応募がないのよ。珈琲貴族の仕事は激務だという噂が流れてるみたいなの」

美紗子さんは言った。

「副社長、思い切って、お店の制服のデザインを変えてみてはいかがですか? 著名なデザイナーに頼んでデザインしてもらうんです。それだけでも話題性があるし、可愛い制服だったら、それを着たいという女の子が応募してくるかも知れませんよ」

私は提案した。制服は創業以来二十年間変わっていない。少し時代遅れのデザインだ。

「ああ、そうね。いいかも知れないわね。じゃ、役員会にかけてみるわ」

ということで、美紗子さんも私の提案に乗り気になった。

祝勝会の帰り道、私とユカリさんは風に当たりながら肩を並べて歩いた。私のマンションは歩いて帰れる距離だった。ユカリさんは会社に戻って、仮眠室に泊まると言った。美紗子さんはタクシーで帰っていった。三人ともアルコールを飲んでいる。

「今日は楽しかったなぁ」

「そうですね。私もお腹いっぱいです」

ユカリさんは言った。

「でも、やっぱりチーフはすごいです。これだけの仕事をするんですから。会社は一気に忙しくなったみたいですから」

「そんなことないですよ。私なんかぜんぜんです。ユカリさんが今まで乗り越えてきた苦労に比べたら序の口ですよ」

「いいえ、私にはチーフのような仕事はできません。CM制作部に来た時、本当はどうしようかと思ってたんです。私に務まるのかって、ぜんぜん自信がなくて不安だらけだったんですよ」

そうなの? ぜんぜん知らなかった。ユカリさんでも、そんなにプレッシャー感じることがあるんだ。

「それに私たちのこともあったから、チーフとどう接していいか分からなくて、気まずさもありましたから」

それは私も感じていた。

「でも、そんな不安も取り越し苦労でした。チーフは私をグイグイ引っ張ってくれて、とても安心できました」

「ごめんなさい、わがままばっかり言って。大変だったでしょ」

「いえ。私、今すごく仕事が楽しいです。チーフと一緒にやれて」

「ユカリさん……ホントにそう思ってくれるの?」

「はい。チーフが、私を選ぶか、副社長を選ぶかなんて、もうどうでもいいです。チーフと一緒に仕事が出来れば、それで幸せです。これからはドンドンチーフを支えていきます。遠慮せずに何でも命令してくださいね。ずっとチーフについていきます」

どこかで聞いたセリフだ。それはかつて、私がユカリさんに言った言葉だ。

「ユカリさん……ありがとう」

ユカリさんは顔に清々しい笑顔を張りつかせて私を見つめた。

私たちは通りを外れて、細い路地に入った。めっきりと人通りが減った。私は猛烈にユカリさんが可愛く思えた。そして思わずユカリさんを抱きしめた。まばらに歩く通行人が、私たちに目を向けて、見て見ぬ振りをして通り過ぎていく。

「ユカリさん、今夜ウチに来て。朝まで一緒にいよ」

「はい。チーフ」

ユカリさんは従順に言った。


つづく・・・



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# by sousaku63 | 2017-05-03 09:33 | ポジティブプラス

ポジティブプラス 24

藤沢さんは強引にキスしてきた。

無理やり舌を挿入してくる。この子、こんなことどこで覚えたの? まだ子供なのに……。

やることはすごく経験を積んでいるように感じるが、まだ子供だと思うのは、愛撫の仕方に思いやりがない。ユカリさんや美紗子さんとはぜんぜん違う。淫らなことをしているわりには感じない。

鼻息を荒くしながら、私の胸を掴んで揉んでいるが、その触り方もなってない。こんなんで相手をイかせることができるのか。もう、この時点でドン引きだ。

私は、藤沢さんを両手で突き放した。

「へたくそ!」

後ろに突き飛ばされた藤沢さんは、目を見開いて、私を見ている。私は立ち上がって、藤沢さんの手を掴んで、ベッドに引っ張って、そこに寝かせた。藤沢さんの体はベッドのクッションで小さくバウンドした。

今度は私が上になって、藤沢さんの唇にキスをした。

強引にではなく、優しく、しかも情熱的にキスをした。すぐに藤沢さんの舌がそれに応えた。

「私のこと、好きなの?」

キスを中断して、私は藤沢さんに訊いた。

「え?」

「え、じゃないわよ。答えて」

私も少し苛立ちを感じていた。声のトーンは荒いものになっていた。

「あなた、私を誰だと思ってるの?」

そう粋がった藤沢さんの顔に、私は平手打ちした。気持ちのいいほど、バシ! と音がした。

「ただの淫乱なメスブタじゃない」

「なんですって、親にもぶたれたことないのに」

「だから、そんな下手くそな愛撫しか出来ないのよ。このメスブタ!」

私は藤沢さんの白いブラウスを強引に引きちぎった。ボタンが外れて宙を飛んだ。胸を開くと、可愛いブラが覗けた。

「なにするのよ!」

「こんなもん、アンタならいくらでも買えるでしょ」

白い肌に私は心を込めて、優しく愛撫していく。胸元から首筋に時間をかけて舌を使った。すぐに藤沢さんの口から、喘ぎの声が洩れてきた。私は自分で上着を脱ぎ、ブラウスも脱いで、下着姿になった。そして藤沢さんのブラウスも脱がせた。

再びキスをする。キスをしながら、藤沢さんのブラの肩紐を下ろして、カップを開いた。まだあどけなく小さな丘が顔を見せた。ピンク色だ。

私はそれを指で転がした。

「あ……」

藤沢さんは小さく声をあげた。私は愛撫をしながら少しずつ、胸に近づいていった。可愛いそれを唇で包み込むようにした。ソフトに舌で撫でる。本当は本能のままに荒々しくしたいところだが、そこは我慢した。この子に教えるためにあえて優しく舌を使う。

藤沢さんの呼吸は乱れて、喘ぎ声を出し続けている。売れっ子女優の乱れる姿を私は目の前で目撃している。本当はメチャメチャ興奮しているのだ。

なんて白くて綺麗な肌なんだろう。たまらない。映画でしか見たことがない女の子が、今、私に抱かれているのだ。これは夢じゃない。現実だ。

私はヤバいぐらいに興奮しながら、藤沢さんの細い体を愛撫し続けた。心臓の鼓動が高鳴りすぎて、口から飛び出そうだ。

上半身を隈なく、愛した後で、私は藤沢さんのショーツを脱がせた。彼女の協力もあり、難なくショーツを取り去った。そこに息づく草むらはうっすらと生えている。もうすでに潤んでいた。

「藤沢さん、どう?」

「感じる、すごく感じる。やめないで!」

息絶え絶えに藤沢さんは言った。私は舌を使って、股間を愛撫した。藤沢さんは体をよじりながら、それに応える。

「ああ、ヤバい、ああ……」

次から次へと愛液が流れ出す。メチャメチャエロい体だわ。相当ストレスが溜まってるのね。女優さんて大変なんだ。

「ああ、花沢さん、すごい、すごい感じる」

私もそんなに経験豊富ではないが、美紗子さんの愛撫がいい勉強になっていたのだ。藤沢さんは半ば叫ぶように声を洩らしている。

そのまま一番敏感な部分に舌をあてた。藤沢さんはまた体を乱した。

「あーーー、だめ! いっちゃう、いっちゃう、いっちゃう、あーーーー!」

最後には体をぐったりさせて、荒い呼吸を繰り返した。

まだまだ小娘ね。呼吸が落ち着くまで、しばらく放心状態だった。

私が隣に寝ると、藤沢さんは私に抱き付いてきた。

「ああ、感じちゃった。今までで一番感じた」

やっと可愛い女の子らしくなった。素直になれば本当に可愛い子だ。さっきの生意気な彼女とは大違いだ。

「花沢さん、また会って」

「年上に大してタメ口はないでしょ」

と、私も藤沢さんが大好きなくせに、わざといじわるな事を言う。

「ごめんなさい。また会ってくれますか?」

「あなたが望めばね」

なに言ってんだろう私。これはいじめね。と自分でも可笑しくなってくる。

「契約はどうする?」

「してください。お願いします」

「わかった。まずは会社に戻って、上司に相談してからね」

「はい、わかりました。よろしくお願いします」

私は愉快だった。あのスーパースターが私に従順になっている。

「私のこと、好き?」

「はい、大好きです。もう花沢さんなしでは生きていけません。これからも会ってください」

「このことは絶対に内緒よ」

「もちろんです。誰にも言えません」

だろうな。特に彼女は。

藤沢さんがいくら契約と言っても、これはやはり会社同士の問題だ。ウチの会社と藤沢らんの所属事務所との契約だ。簡単には進まない。彼女の言うのは、私から上司に持ちかけて、藤沢さんの事務所に交渉して欲しいということだ。そこで、藤沢さんは「契約したい」とか何とか言って、交渉を優位に進めるということだろう。

私は早速次の日に、美紗子さんにこの話を持ちかけてみた。

「藤沢さんはやっぱり素敵ですね。長期で契約して、これからもCMに出てもらいましょうよ」

「そうね。一度、社長にも相談してみるわ。OKが出たら、あちらと交渉しましょう」

これは難なくいけそうだ。

それから毎日のように藤沢さんからLINEが来るようになった。内容は他愛もない会話だ。「おはようございます。今日も一日がんばります」みたいな。藤沢さんもドラマの撮影でしばらくは忙しくて会えない。彼女は会いたがっているが、売れっ子はなかなか自由な時間が作れないそうだ。それは仕方がない。売れっ子なんだから。

私も美紗子さんとの付き合いがあるので、彼女のためにはそんなに時間を作れないのだ。だから、ちょうどいいかも知れない。

「交渉は私がさせてもらってよろしいでしょうか?」

私は美紗子さんに直訴した。

「あなたが? 一人で? 大丈夫?」

「こういう大きな仕事をさせるために、私を引き抜いたんじゃないんですか?」

私は強気で言った。美紗子さんは少し考えた。

「わかった。あなたに任せる」

藤沢さんと打ち合わせは出来ている。あちらはあちら、こっちはこっちで計画は順調だ。もうすでにステージセットは出来ている。後はシナリオに従って、事を進めるだけだ。

私一人で相手事務所に出向き、契約を遂行した。藤沢さんは珈琲貴族のCMに今後も出たいと所属事務所に申し出ている。それでも一応、低姿勢で「お願いします」という意思表示を見せるのだ。

お互いに判をつき、契約はまとまった。会社に戻って、オフィスに入ると、美紗子さんは私を待ちかねていたようだった。

「お疲れさま、どうだった?」

勢い込んで美紗子さんは言った。私は右手でOKサインを作った。

「バッチリです。契約まとまりました。2年契約です」

「そう。よかった」

美紗子さんは嬉しそうに椅子から立ち上がって、私をハグして喜びを表現した。枕営業で勝ち取った契約だが、それでも藤沢らんを使おうと言い出したのは私だ。少しは優越感に浸ってもいいと思う。

「早速、社長のところに報告に行きましょう」

美紗子さんは私を連れて、社長室に入り、私の手柄を報告した。

「そうですか。やりましたね。ありがとうございます」

社長はそう言って、私と握手をしてくれた。

「あなたの今までの功績は妻から聞いています。今回の仕事を成功させたということで、あなたをCM制作部のチーフマネージャーに任命します」

チーフ? マネージャー……? って? なにそれ。偉いの? どれぐらいの地位なのかしら?

「CM制作部のナンバー2よ」

美紗子さんは笑顔で言ってくれたが、それって凄いことなの? いやいや、我が部署には二人しかいないし。ま、いっか。とりあえずカッコいい肩書だし。名刺を出す時もカッコつくし。

「ありがとうございます」

私は嬉しそうにその場を繕った。チーフマネージャーになって、給料も上がるのかな? と素朴に思ったがそれは訊きづらい。もう十分な金額をもらっているのだ。次回の給与明細を見れば分かる。それを楽しみにしよう。

珈琲貴族のCMは編集を施した後、2週間後に関東圏だけで放送された。藤沢らんの笑顔が印象的で好評だった。翌日から各店舗の売上もウナギ上りになり、通常の2倍近い数字を叩きだした。

さすがにスターの効果は絶大だった。藤沢らんを使って良かったと、つくづく思った。私の活躍に、美紗子さんも鼻が高いようで終始笑顔だ。

このまま順調に稼げば、車が買えそうだ。

それにしてもユカリさんの今後の処遇が気になる。このままどこへ行くかが決まらなければ、CM制作部の部長になるのだ。そうなると今後の仕事がやりにくい。私の立場も微妙になる。美紗子さんだから思い通りにやれたが、ユカリさんとは接し方も変わってくるし、思い通りにはやれなくなる。

それに今は美紗子さんと恋愛関係にある。そこに元の恋人が入ってくるのはあまり歓迎しないのだ。私とユカリさんの関係を美紗子さんは知らない。それが美紗子さんにばれたら、三角関係のもつれでトラブルが起こるかも知れないのだ。

もうそろそろユカリさんの去就を決めなければならない。でなければ行くところがなくなってしまう。このままだとユカリさんが我が部署に来るのが濃厚になる。

「堂島部長はどうなるんですか?」

私は美紗子さんに訊いた。美紗子さんは浮かない顔をして答える。

「そうね。ここで三人で仕事をするしかないわね」

三人? 一緒に? ええ! マジで?

「でも、副社長はまた元の仕事に戻るんじゃないんですか?」

「いずれはそうするつもりだけど、最初は三人でやった方がいいもんね。堂島さんもどうしていいか分からないだろうから」

副社長の言う事はもっともだ。ユカリさんもここでの雰囲気を掴まないと動きようがないだろう。やっぱり三人だ。どうしよう……。

そして、1月が終わり、2月に突入した。営業企画部はなくなり、みんなそれぞれ希望の部署へ移っていった。上田さんは商品開発部へ、夏目さんはデザイン部へ、坂上君は撮影部へ。

残るユカリさんは……。

トントン。

ドアを叩く音がした。私はドアを開けた。そこにはユカリさんが立っていた。台車に荷物を乗せている。ついにこの部署へ引っ越して来たのだ。

「あ、堂島部長……」

「花沢チーフマネージャー、おはようございます」

ユカリさんは真面目な顔つきで、かしこまった。

「おはようございます、あ、どうぞ」

私はドアを開けて、ユカリさんを通してあげた。

「あの、デスクはどこを使えばいいんでしょうか?」

立ち止まって、戸惑っているユカリさんは私に言った。そうだ、ユカリさんのデスクはまだ決まっていなかった。どうしようか? 私が決めちゃっていいのかな? 美紗子さんはまだ来ていない。

「ここ使ってください」

私の斜め向かい側を指さして言った。美紗子さんに近い所だ。

私の真向かいだと、目線が合って、やりづらいから、斜め向かい側に座ってもらった。美紗子さんは私がデスクを決めるときも、好きなとこ使っていいと言っていたから大丈夫だろう。

「はい、ありがとうございます」

ユカリさんは他人行儀に言った。それにしても、さっきから私に対して敬語だ。立場が逆転したようで、くすぐったい感じだ。

「今日からお世話になります、よろしくお願いします」

ユカリさんはよそよそしく、私に頭を下げた。

「やめてください、堂島部長。私に敬語なんて」

「いえ、ここでは花沢チーフの方が先輩ですから」

「そんな……」

先輩って……、ユカリさん。

「それに私はもう、部長ではありませんから」

そう言いながら、ユカリさんは自分の荷物を段ボール箱から出して、机の上に置いていく。ユカリさん、ちょっと寂しそうだ。こんなユカリさんは見たくない。

「そうは言っても、堂島部長はゆくゆくはここの部長になるんですよ。副社長が言ってました」

「いいえ、それはおかしいと思います。ここで実績も挙げていない私が部長になるなんて、あり得ないと思います。花沢チーフは、CMに起用する女優さんと契約をまとめるという大きなお仕事をされました。部長になるなら花沢さんがなるべきだと思います」

「ユカリさん……」

つい、下の名前で呼んでしまった。

ユカリさん、ちょっと拗ねているようにも思えるが、その気持ちは解からないでもない。部署を異動して、いきなり部長になるというのは心苦しいだろう。経験があるならまだしも、CM制作部は出来たばかりの部署だ。経験者は誰もいない。この会社で言うなら、副社長と私だけが経験者だ。

とはいうものの、今度は立場が変わって、私がユカリさんに仕事を教えなければならないのだ。教えるといっても、私もまだそんなに経験はない。ちょっと、というか、かなりやりにくい状況になってきた。

私が困惑していると、美紗子さんが出勤してきた。

「おはよう」

「おはようございます」

私とユカリさんの言葉が重なった。

「今日からお世話になります、堂島です。よろしくお願いします」

きちんとお辞儀をして、ユカリさんは挨拶をした。

「はい、よろしくね。そんなに緊張しなくていいからね。ね、花沢さん」

「はい、リラックスしていきましょう」

私はムリに笑いを作って、ユカリさんに言った。ユカリさんは少しだけ表情を緩めた。緊張しているのか、怒っているのか分からないが、どことなく態度がおかしい。副社長の前なので、遠慮していると思うが、それだけだろうか?

今回の異動をユカリさんはどう思っているのだろうか? 心の内はまったく解からない。それにしても、久しぶりに会ったユカリさんは一段と綺麗になった気がする。

まさか誰か良い人が出来たとか? 

三人集まったところで、副社長はミーティングを始めた。私にとっては、本当に奇妙な組み合わせだ。私とユカリさんの関係を美紗子さんは知らないし、美紗子さんと私の関係をユカリさん知らない。しかもユカリさんとはちゃんと別れたわけではない。まだ継続中かも? という間柄だ。その辺りは、ユカリさんと腹を割って、話し合う必要がありそうだ。

まずはユカリさんに仕事を把握してもらうために、これまでの事業報告とこれからの展望を話した。資料は前もって作ったあった。それを見ながらのミーティングだ。

今後は、CMの第二弾を作る予定だ。新商品の開発に伴い、その告知をしていくのだ。我が社のコーヒーをコンビニでも販売するというものだった。もちろん藤沢らんのCMになる。

午前中にその話をして、午後からは、そのコンビニ商品を試飲しに、商品開発部へ行った。どんな商品かを見ておかなければ、宣伝のしようがない。商品のデザインはよくあるカップ式のタイプで、横にストローが付いているものだった。

肝心のコーヒーの味は、店舗に比べると落ちるが、珈琲貴族のブランド名があるので、ある程度の売上は見込めるだろう。

私たちの取り急ぎの課題は、その商品の特徴と売り、それを把握しての、CM制作だった。それが私たちの仕事となった。

副社長は夕方5時過ぎに、別件で副社長室に戻っていった。部屋には私とユカリさんだけが残った。

ユカリさんと二人になったところで、私はユカリさんに話しかけた。帰り支度をしているユカリさんに私は言った。

「あの……」

「はい、なんでしょうか?」

相変わらずよそよそしい言い方だ。私はユカリさんの隣の席に座った。

「ユカリさん、その……」

すごく切り出し辛い、ユカリさんは黙って、私を見ている。

「これは仕事とは関係ない話なんですが……」

そこまで言うと、ユカリさんも何を言いたいのかを察したのだろう。私から視線を外して俯いた。

「ユカリさん、私たちのことって……」

心臓がドキドキしてきた。なんて聞けばいいのだろう。私の方が先輩なのに、うまく言い出せない。ユカリさんは黙っている。きっとユカリさん自身もその話をしなければならないと思っていたかも知れない。

「その……、どうなっちゃったんだろう……っていうか……。うまく言えないんですけど、その……終わったん……でしょうか?」

「……」

なんとか言ってよ。言いたいことは分かってるんでしょ? 黙ってるなんてずるいよ。このことにけじめをつけないと、今後もユカリさんとやっていけないよ。

「そういう話はここではするべきではないと思いますが」

ユカリさんはやっと答えた。

「じゃ、場所を変えて……」

私は席を立とうとした。

「チーフ」

え? まだその呼びかた? この話は仕事とは関係ないのに。

「わかったわ。いい機会だから、その話をするわね」

ユカリさんは落ち着いてそう言った。私はもう一度椅子に座りなおした。

「あなたとのことを、一度は話さなければいけないと思っていたの。でもね、アヤ、今さら、その話をしてどうなると言うの? 私がまだ、あなたのことを好きだと言ったら、私の気持ちに応えてくれるの? また私と愛し合ってくれるの?」

「ユカリさん……」

ユカリさんは全てを察している。私と美紗子さんが愛し合っているということを。それが分かっていてこの部署に来たのだ。

「あなたはもう、後戻りできないところまで来ている。違う?」

「……」

私には何も言えなかった。ユカリさんは伊達に年をとってはいない。確かに私は、もうユカリさんと付き合うことなど出来ない。美紗子さんは私のために、給料を上げてくれて、マンションまで準備してくれたのだ。そして社長までもが私に期待している。このまま前に突き進むしかないのだ。

美紗子さんと別れる時は、この会社を辞める時だ。それはすなわち今の生活を捨てて、また貧乏生活に戻るということなのだ。そんなことは絶対に嫌だ。かといって、ユカリさんを完全に忘れることなど、私に出来るのだろうか? 

こうして毎日ユカリさんと顔を合わせていると、また好きになってしまいそうだ。冷静に仕事をすることなど、私には自信がない。


つづく・・・




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# by sousaku63 | 2017-05-01 11:22 | ポジティブプラス

ポジティブプラス 23

美紗子さんが?

そんな……。

「どうしてですか?」

私は憤りを感じた。そういうことをサラリと言ってしまう美紗子さんに少し違和感を覚えた。そんな人だったの?

私のいた営業企画部を守ってくれるんじゃなくて、率先して廃止にするなんて……。会社の経営も大事かも知れないけど、それにしたって……。

「まあ、いろいろあるけどね。これからは各部署で企画を考えればいいと思って」

「それなら最初から営業企画部なんて必要なかったじゃないですか」

「そうよ、私は反対したのよ。でも強引に推し進められたの。いざ走り出してみると案の定。大した業績も出せないし、人員だって減ってるしね。あなたが抜けて、今はたったの4人でしょ」

確かに人は少ない。堂島部長以下3人しかいない。

「それにね、営業企画部には他の部署から欲しいっていう人もいるの。たとえば上田さんなんかは、元は商品開発部にいたでしょ。開発部の部長から上田さんを戻してくれって言われてるの。夏目さんもそう、彼女はデザイン部にいたの。そこの部長から、なんで夏目さんを引き抜くんだって、さんざん言われてたのよ。夏目さんもデザインがやりたかったみたいだし、戻った方が彼女の才能を発揮できるのよ」

なるほど、そういうことか。

「じゃ、坂上君は?」

「彼はね、カメラが好きみたいだから、撮影部に決まったわ」

「そうなんですか」

「そう、みんなそれぞれ、自分の才能を発揮できた方がやりがいがあるでしょ。その方が会社のためにもなるし」

なんだ、びっくりした。さすが美紗子さんだ。ちゃんと社員のことを考えてくれているんだ。

「で、いつ無くなるんですか?」

「そうね、とりあえず今抱えている仕事を全て終わらせてからだから、2月の異動を考えてるわ」

2月……。

「あ、堂島部長はどうなるんですか?」

「それが、まだ決定してないの。彼女にも一番いい異動をしてもらいたいけど、どうなることか……。部長職以上のものを考えてる。何も問題がないのに降格はありえないでしょ。もし最悪、どこにも行き場がなかったら、ここの部長を任せようと思ってるわ」

「え? CM制作部の、ですか? じゃあ、副社長はどうするんですか?」

「私はまた、自分の仕事一本に専念するわ」

なんだか風向きが変な方向に向いてきた。とても複雑だ。私にとっては、過去の恋人がまた戻ってくるわけだ。そして今の恋人は離れていく。仕事上では。

ユカリさんとまた一緒になれるのが嬉しいような、悲しいような。この気持ち、何と表現すればいいのだろう。ユカリさんとは喧嘩別れしたわけではない。あのときはユカリさんが私の出世を願って、自分から身を引いたのだ。

ユカリさんの処遇は気がかりだが、他の社員たちには良いことだった。私は自分だけが出世したことに後ろめたさを感じていたからホッとした。泣いても笑っても営業企画部はあと一カ月だ。その間にユカリさんの異動も決まる。

「それで、本題に入ろうか。CM制作の勉強はできた?」

「はい、まずは広告代理店を見つけるんですよね?」

「それはもう当たってある。明日先方に出向いて、打ち合わせするから、あなたも一緒に来て」

「はい」

なんだ。そうなんだ。だよね。今の時点で一から調べるなんてことないよね。

「問題はこちらのイメージを相手に明確に伝えることなのよ。それをこれから考えるからミーティングしましょ」

美紗子さんはそう言って、私のデスクの隣に座った。私にCM作りの勉強をしておけと言ったのは、すぐにミーティングできるようにか。

「まずはねウチのお店、そのものを宣伝したいと思ってるの」

「具体的な商品ではなく、お店をですか?」

「最初はその程度でいいと思う」

私もそれには賛成だ。

「どんなCMをイメージしてるんですか?」

「それをあなたに聞きたいのよ。あなたはどう? なんかいいアイデアある?」

私には漠然としたイメージがあった。

「そうですね、前向きというか、ポジティブなイメージなんかいいと思います。ドラマ仕立てなんかどうでしょうか?」

「ドラマか、いいわね」

「たとえばこんなのはどうでしょう。仕事で上司に怒られた若い女の子が落ち込んで、珈琲貴族のコーヒーを飲んで元気になる、というのは」

「シンプルだけど、わかりやすくていいかも」

こういうのを考えるのは得意だ。私って作家になれるかも。

「そして女優は今売り出し中の藤沢らんがいいと思います」

「藤沢らんって、去年、アカデミー賞獲った女優でしょ」

彼女が昨年主演した映画は日本アカデミー賞各部門を総なめだった。私も大好きな女優で、若干二十歳の女の子だ。

「私、前から考えてたんですけど、彼女はウチのイメージにぴったりだと思うんです」

「わかった。あなたを信じるわ。それでいきましょう」

翌日の広告代理店との打ち合わせで、そのコンセプトを明確に伝えた。細かいことは先方に任せることにしたが、売れっ子の女優を起用するとなると、経費が莫大にかかる。

そのことは釘を刺された。いくらかかってもいい。それをしのぐほど売り上げが伸びれば安いもんだ。そしてお店での撮影もある。その店にはぜひ横浜店を使うことを提案した。

早速、脚本を作り上げた。ストーリーには私が考案したものが、そのまま採用された。運よく藤沢らんのスケジュールも調整できた。撮影は2週間後だった。

はっきり言って、こんなに思い通りに事が進むとは思っていなかった。CM作りって楽しい。もちろん仕事をしている人たちは大変なのだろうが、私は依頼している側なので、自分で作るわけではない。

あんなに引っ張りだこの女優さんのスケジュールも確保できたなんて、奇跡だと担当者は言っていた。私はそんなツキも持っているのか?

2週間後に撮影は開始された。私と美紗子さんは現場へ向かい、挨拶がてら見学に行った。もちろん一番の目的は「芸能人に会える」だった。特に私はなんとしても藤沢らんに会いたかった。あって絶対に挨拶したいと思っていた。

撮影現場に行くと、お目当ての藤沢らんは来ていた。

あ! 来てる。すごい! 本物だ!

って、当たり前だが、初めて間近で見たのだ。感動するなという方が無理だ。第一印象は、顔小っさ、だった。体格もそれほど大きくない。私よりも少し背が低い感じだ。恵まれた体に羨望の眼差しを送っていた。

そして、待ち時間でのことだった。藤沢らんはマネージャーと一緒に、自分からこちらに挨拶に来たのだ。

ええ? こっちに来る。

私の緊張はマジで半端なかった。

「初めまして。藤沢らんと申します。よろしくお願いします」

「わざわざ、ありがとうございます。珈琲貴族の神取と申します」

美紗子さんは副社長らしく落ち着いて、名刺を取り出して渡している。社名はライジングサンだが、その名前はあまり知られていないので、あえて珈琲貴族と言ったのだろう。

次は私だ。

藤沢らんは私を見た。ドキドキ。私は慌てて、名刺を取り出した。手が震えた。

「あ、花沢と申します。よろしくお願いします」

振るえた手で名刺を渡した。うわー感動だ。

「花沢さん。よろしくお願いします。このたびは私を起用して頂いて、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」

そう言って彼女は頭を下げた。

なんて礼儀正しいんだ。スターなのに、それを鼻にかけた所が全くない。これなら人気が出るはずだ。私はますます藤沢らんのファンになってしまった。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

そして撮影は快調に行われた。

約一か月後に私と美紗子さんは出来上がったCFの試写会に呼ばれた。そこにはあの藤沢らんも来ていた。私たちは当然彼女に挨拶をした。CFのストーリーは、私が考案した通り、上司に怒られた、主人公の藤沢らんが落ち込んで、通りかかった珈琲貴族に入り、一杯のコーヒーを飲んで、また元気を取りどすといった内容だった。

その元気な顔が、とてもいい表情で、これなら今後の売上アップに繋がると思った。さすがアカデミー賞女優だ。

試写会が終わった後で、スタッフたちはそれぞれ少しの時間、歓談に入った。そんなとき、私は藤沢らんに声を掛けられたのだ。

「花沢さん、ちょっと」

手招きをする藤沢さんを見つけた。私はまた緊張した。あの藤沢らんが私に何の用だろう。

「よかったら、LINE交換してもらえませんか?」

「え? 私と?」

マジかーーーーーー! げ、芸能人とお友達になれる。こんなことってあるのか! 生きてて良かった。

「ダメですか?」

「あ、いえ、よろこんで」

私はスマホを出して、藤沢さんとLINE交換した。美紗子さんは、他のスタッフと話をしている。私たちには気づいていない。

私は藤沢さんとお友達になれたことで完全に有頂天になった。だんだん運が向いてきたぞ。そんな気がした。そのあと藤沢さんと一緒にツーショット写真を撮ってもらった。

メチャメチャ嬉しい。

翌日の午前中に、藤沢さんからLINEが来た。

「昨日はありがとうございました。花沢さんと少しお話ししたいのですが、お時間取れますか?」

おー、早速お誘いのメッセージだ。

「はい、夕方以降ならOKです」

「では、今夜7時に○×ホテルでお待ちしています」

行く行く。もちろん行きますよ。でも、引っ張りだこの女優さんなのに意外と暇なのね。たまたま時間が空いただけかな。

「了解しました」

ということで、私は仕事が終わったその足で、指定された○×ホテルに飛んで行った。

着いたのは7時少し前だった。時間に遅れてはいけないと思い、急いで来た。ホテルの一階ロビーを見渡したが、それらしい人はいなかった。私はスマホを取り出して、LINEを送った。

「今、一階のロビーにいます」

「エレベータで6階に来てください。603号室です」

私はドキドキして、エレベータに乗り込んだ。一体なんの話だろう。もちろん仕事に関する話だろうが、それなら美紗子さんを通すべきなのだ。部下の私に何の話があるのだろうと、疑問を持ちながら、私はエレベータで6階に上がった。

6階に着いて、廊下を歩くと、603号室はすぐに見つかった。インターホンを押す。

中からドアが開けられた。

「どうぞ」

「失礼します」

失礼のないように私は目いっぱい注意して中に入った。

「お疲れ様です」

頭を下げて、丁寧に挨拶する。

「そこ座って」

藤沢さんはソファを指して、私に言った。なんだか高級そうなソファだ。私は返事をして、言われたとおりにソファに座った。

「コーヒーでいい?」

「はい、ありがとうございます」

なんとなく藤沢さんの様子が違う。前回会った時は、もっとソフトで柔らかい感じがあった。でも今は、少し冷たい感じだ。笑顔はまったくない。それは厳しかったころのユカリさんを思わせた。きっとよほど大事な話なのだろう。

コーヒーを淹れると、藤沢さんは目の前のテーブルに置いてくれた。

「ありがとうございます」

私はまた丁寧に頭を下げた。否応なく緊張してくる。

藤沢さんは隣に座って脚を組み、コーヒーを一口飲んだ。

「どうぞ」

私がぼーっとして座っていると、藤沢さんは言った。以前の藤沢さんとはまるで別人だ。表情はまったく違うし、清純派のイメージではなく、妙に大人びた感じだった。話し方にも棘がある。

「はい、頂きます」

とりあえず、コーヒーカップを手に取り、私もそれを口に含んだ。ウチのコーヒーと比べると、はるかにマズい。

「……あのぅ、お話というのは……」

何も言い出さない藤沢さんに業を煮やして私は言った。

「私と契約してくれない? 長期の契約」

「長期契約?」

「珈琲貴族のCMで。とりあえず2年契約。悪い話じゃないと思うけど」

長期の契約ということは、今後も珈琲貴族のCMに出てもらえるということだ。

「本当ですか?」

確かに悪い話じゃない。それが叶えばチョー嬉しい。間違いなく売上は安定する。

「ただし条件があるの」

藤沢さんはコーヒーカップを置いた。高飛車の態度だ。

「はい、なんなりと」

契約してくれるなら、どんな条件だって構わない。

「私と寝てくれない?」

は? 

そう思って唖然としてると、藤沢さんはいきなり私の腕を掴んで、引き寄せ、強引にキスした。私はなすすべもなく、身を任せるしかなかった。

「嫌い? こういうの」

唇は離して、藤沢さんは言った。驚いた私は、どう答えていいか分からなかった。

藤沢さんも、まさかのビアン……。

同類……? 私の中で藤沢さんのイメージがドンドン崩れていく。

要するに私は枕営業を求められているのだ。どうしよう……。

藤沢さんは馴れ馴れしく、私の肩を抱いたまま、じっと私の答えを待っている。私は迷った。すぐに答えは出せない。藤沢さんと寝るということは、美紗子さんを裏切るということだ。そんな返事はすぐには出来ない。でも、会社のためにこの契約は欲しい。彼女が味方につけば鬼に金棒だ。

「その返事、今すぐでないとダメですか?」

「できれば今すぐ」

「でも、会社に戻って、上に相談してみないと……」

「あのオバサン?」

オバサンって、美紗子さんのこと? なんて口が悪いの、この人。こんな人だったんだ。ガッカリだわ。

「大丈夫よ。私との契約の話をすれば、二つ返事で承諾するわ」

傲慢な女ね。ムカつくわ。でも今はそんなこと言っていられない。すぐに答えを出さないと。私より年下のガキのくせに生意気だけど、確かに彼女の実力は折り紙付きだ。是が非でもこの契約は欲しい。

美紗子さんは私を引き抜いて、良いマンションを与えてくれて、それなりの報酬も用意してくれたのだ。そして「いい仕事をしなさい」と言ってくれた。それはかなりのプレッシャーだったが、これが「いい仕事」と言えるのだろうか?

この生意気なガキんちょの顔を2,3発ぶん殴って、「バカにしないで!」と啖呵を切りたいところだが、情けないことに今の私にはそれが出来ない。

えーい、綺麗ごとだけでは、世の中渡っていけない。業績も上がらない。ここは心を鬼にして、会社に貢献しよう。もう貧乏には戻りたくない。ときにはプライドを捨てる覚悟がなければ、人生は掴めないのだ。

「どうする?」

藤沢さんは訊いた。

「わかりました」

私がそう答えると、藤沢さんは眼つきが変わった。私をとろけたような目で見る。こんな顔、映画で見たことがある。さすが女優だと思った。すでに演技に入っている。自分の気持ちを盛り立てて、私との時間を愉しもうと思っているのだ。

そういう気持ちで迫られると、私の心にも火が付く。


つづく・・・



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# by sousaku63 | 2017-04-15 09:49 | ポジティブプラス

ポジティブプラス 22

同じ会社の子に手を出したってこと……?

うそ…… ショック……。

私の想像する美紗子さんとは違う。だから嫌いということではないが、かなり意外だった。どういう経緯で美紗子さんとその人が恋仲になったかは知らないが、こればっかりは理屈ではないのだ。人を好きになってしまったのだから仕方がない。美紗子さんの中では黒歴史だろう。

美紗子さんは私に告白したまま、俯いて、目を合わせようとしない。

「ごめんなさい」

「いえ。美紗子さんのことだから、よっぽど好きだったんでしょうね」

「うん、好きだった」

そんなにはっきり言われると、少し妬けてしまう。今も、その人のことが忘れられないのだろうか。

「だから、もう人を好きにならないって決めたの」

その言い方はまるで、自分に言い聞かせているようだ。

「一生……ですか?」

「そうね」

美紗子さんはため息交じりに言った。

私のことも好きではないのだろうか? 

「さあ、もう寝ようか。今日は疲れたでしょ」

美紗子さんはさっさとお開きにしてしまった。「片づけは明日やればいいから」そう言って、それぞれの部屋に入室した。

私も一旦は自分の部屋のベッドに横になったが、寝付けずにベッドを降りて、美紗子さんの部屋に行った。

「美紗子さん、もう寝ました?」

「うん? どうしたの?」

美紗子さんはベッドに横になったまま、私を見て言った。大きなダブルサイズのベッドに一人で寝ている。これは広すぎるだろう。枕だって二人分ある。

「一緒に寝ていいですか?」

そう言いながら、同じベッドに入り、掛布団を被った。

「いいけど……どうしたの?」

少し戸惑っているようだ。さっきの話の後で、一緒のベッドに寝るわけだから、クエスチョンが付くのはわかる。

「一人じゃ寝られなくて」

「あなた一人暮らしじゃない」

「そうですけど、部屋が広くて落ち着かないんです」

私は美紗子さんの腕に絡みついた。

「彩さん……」

不安な色を含んだ美紗子さんの声だった。

「ミーちゃん、宿題見てあげようか?」

私がそう言うと、美紗子さんは急に吹き出した。笑いが止まらないらしい。お腹を抱えて笑っている。

「もう、やだ。彩さんたら。あんな話しなきゃよかった」

私は構わず「ミーちゃん」と呼んだ。

「ミーちゃんっていいですね。私もこれからそう呼びますね」

からかうように私が言うと、笑い交じりに「どうぞ」と言った。

「一生恋をしないなんて、寂しくないですか?」

「……寂しいわよね」

美紗子さんは真顔になった。

「私のことも、好きじゃないんですか?」

美紗子さんは私をじっと見つめた。

「彩さん……あなたも……?」

「自分でもどうなのか分かりませんけど、美紗子さんのことは好きです」

「彩さん……」

私は体を起こして、上から美紗子さんを見下ろした。二人で目を見つめ合って、視線を絡ませた。

「私は、死んだりしませんよ」

私がそう言うと、美紗子さんは両手を伸ばして私を力強く抱きしめた。そして唇を絡ませる。箍が外れたように美紗子さんは私を求めた。

「あ……好き、大好きなの。初めて見たときから好きだったの」

私の耳元で囁くように言う。

「私もです。美紗子さん綺麗で、一目ぼれしちゃったんです」

「そうなの? だから気が合ったのね」

私もそれは実感した。しかし副社長という鎧に怖気づいて、自分を出し切れなかった。

「私を引き抜いてくれて、ありがとうございます」

「欲しいものは何でも手に入れるのよ、私は」

私たちは何度もキスを交わした。その夜はそれ以上のことはなく、私たちは抱き合ったまま眠った。とても満たされて、胸がいっぱいになった。

翌朝、気持ちのいい陽光が差し込み、目が覚めたら部屋は明るくなっていた。横には美紗子さんがいた。

「おはよう」

「おはようございます」

美紗子さんはもう起きていた。私は嬉しくてまた抱き付いた。

「私は独占しませんから安心してください。ていうか、離婚したらダメですよ」

「ええ?」

「なんだかんだ言っても、今の旦那さんと一緒になったから幸せなんだと思いますよ。ゲイとレズの夫婦でも、それで幸せならいいと思います」

「ありがとう、理解してくれて。また好きになっちゃった。どうしよう」

私の髪を撫でながら言ってくれた。そんなに愛されると、私も嬉しい。しかし、この幸せがいつまで続くのかと思うようになってしまう。優しくされると怖くなってくる。この愛がいつかは終わるような気がして。

ハワイでの日々も一日一日が風のように過ぎていった。楽しいときは時間が過ぎるのが早い。

美紗子さんが昔付き合って自殺した子はその後どうしたのか? 事件のとき、すぐに旦那さんに相談したらしい。旦那さんにはすべてを話して理解してもらい、表向けには自殺ではなく病死ということにしたそうだった。会社内での美紗子さんの地位を守るためと、社員の動揺を防ぐためだ。

美紗子さんは責任をとって、退職することを望んだが、旦那さんはそれを拒んだ。会社には必要な人間だし、やはり世間体を取り繕うことを選択したようだった。そう説得されて、美紗子さんは思いとどまったそうだった。

私は美紗子さんが不憫だった。そんな事件があったのに会社に残ることはとても苦痛だし、残酷なことだ。でも、退職していたら、私との出会いもなかったのである。私としては複雑だ。

「彩さん、ずっと私の傍にいてね」

ハワイでの最後の夜に、美紗子さんは私に言った。ソファでまったりしているときだった。

私もそのつもりだ。貧乏だった私が、美紗子さんのお陰で、富裕層の仲間入りをしようとしている。もうあの頃には戻れない。私も美紗子さんから離れるわけにはいかないのだ。

「それは私のセリフですよ。私のこと捨てないでくださいね」

「そんなことしない。今度こそ好きな人を離さない」

私は美紗子さんの感情に嘘はないと思った。

「意地悪な質問していいですか?」

「なに?」

「もしも、私が旦那さんと離婚して、って言ったらどうしますか?」

「するわ!」

間髪入れずにきっぱりと言った。嬉しいけど意外だった。

「だって、もうあんな思いするの嫌だもん。今度あんなことがあったら、私も生きてはいないと思う」

私を失うことは、美紗子さんの死を意味するってことか。まさしく命がけの恋だ。

それにしては、いつまで経ってもキスだけだった。「好き」「愛してる」というわりには、美紗子さんは私にそれ以上のことをしてこない。それだけ私のことを大事に思ってくれているのだろうか? それとも過去の人を忘れられないのだろうか?

訊いてみれば早いのだろうが、私は美紗子さんがその気になるまで待ちたい気もする。ムリに抱いてもらうのは違うような気がするのだ。

「美紗子さん、どうして私を抱かないんですか?」

やっぱり訊いてしまった。胸の中のモヤモヤに耐えられない。

「……ごめんなさい」

美紗子さん視線を逸らして、そう言った。

「やっぱり過去のことを気にしてるんですか?」

「ごめん……それは……」

「言ってください、私、何を聞いても驚きません」

美紗子さんは私を見つめた。まだ迷っているようだった。

「美紗子さんのことを全部知ったうえで、過去のことも総て含めて、愛したいんです」

「彩さん……」

私は口を噤んで、美紗子さんの告白を待ち続けた。今、辛いことを話そうとしているのは分かる。それを乗り越えないと本当の幸せは来ない気がするのだ。

美紗子さんは決心したように、おもむろにソファから立ち上がった。私に背を向けると、なぜかスカートを脱いだ。

え……?

そして、こちらに再び振り向いた美紗子さんを見て、私は息を呑んだ。目を見開いてそれを見たのだ。

美紗子さん……!

美紗子さんの太ももの内側にタトゥーが入っていたのだ。

それは人の名前だった。「美知」と彫られていた。自殺した子の名前だと、すぐにわかった。太ももの上部で、スカートを穿いてしまえば、外からは見えない所に彫ってある。

何を聞いても驚かないつもりだったが、私は絶句してしまった。

「美紗子さん……これは……」

「過去に私が愛した人の名前よ。私の体の中には今も彼女が生き続けているの。彩さん、これでも私のことを愛せる?」

さすがにすぐには頷けなかった。愛し合うたびに、その名前が目に入るのだ。抱かれることが地獄になる。私はその場にへたり込んだ。もう、美紗子さんと肌を合わせることはできないのだ。

「美知も同じところに、私の名前を彫ったのよ。なのに彼女は死んでしまった」

美紗子さんはスカートを穿いて、ソファに座った。

美知さんは、自分以外の女を愛せないように、その名前を彫らせたに違いない。そこに彼女の怨念を感じる。たとえタトゥーを消しても、後は残る。そのたびに私も辛い思いをするのだ。

私は涙が出てきた。

「ひどい……こんなの、ひどすぎます。だったら、どうして私に声を掛けたんですか……」

涙はとめどなく流れ出た。

「ごめんなさい。彩さん……」

美紗子さんは優しく私を抱きしめた。私はそれを振りほどいて、自室に走った。ドアを閉めて、ベッドに体を投げ出した。布団が私の涙を吸っていった。美紗子さんに見せられた真実は衝撃的だった。

その晩、私は夜中の3時まで眠れなかった。美紗子さんも私に気を遣ってか、部屋に入っては来なかった。どう心の整理をつけたらいいのか。もう後戻りは出来ない状況なのだ。私はこのまま美紗子さんと生きていくしかない。

私は、何かが乗り移ったように、ベッドから飛び降りた。そして部屋を出た。

美紗子さんはまだ起きていた。ソファに座って一人でワインを飲んで、私を待っていた。

「彩さん……」

私は美紗子さんの前に立った。そして、美紗子さんの顔を思いきり殴った。美紗子さんは髪を振り乱して、頬を押さえた。

「殴って気が済むなら、いくらでも殴って」

上目遣いで、美紗子さんは私を見た。目を逸らすことはしなかった。

「今、美紗子さんの中にいる悪霊を追い払いました。もう美知さんはいません」

私は、美紗子さんに跨るようにして抱き付いた。

「私の方が、好きなんだから。美知さんよりも、ずっとずっと美紗子さんのこと愛してるんだから」

「彩さん……」

「負けないんだから。美知さんに呪い殺されたっていい。絶対に美紗子さんから離れない」

「彩さん、ありがとう。嬉しい……。生きてて良かった……、何度死のうと思ったことか。そう言ってくれる人がいるなんて思わなかった」

美紗子さんは私の耳元で嗚咽を洩らした。

「美紗子さん、抱いてください。今すぐ」

私たちはハワイでの最後の夜、美紗子さんの寝室で思いきり愛し合った。

翌朝、美紗子さんの声で私は目を覚ました。

「彩さん、起きて、ヤバい、寝坊しちゃった」

私は寝ぼけ眼で、目を開けた。外からの光が眩しくて、目を開けづらかった。

「んー? 何時ですか?」

「もう11時よ。早くしないと、飛行機に間に合わない。目覚まし掛けないで寝ちゃったから」

そうだった。私は生まれたままの姿だった。美紗子さんは慌ただしくブラを付けて、ショーツを穿いていた。

昨日は夜中の3時を過ぎてから、2人してベッドで戯れ合ったのだ。美紗子さんの愛撫で何度もイってしまった。私のぎこちない愛撫にも美紗子さんは感じてくれた。その余韻を楽しんでいる間に、お互い眠ってしまったのだ。目覚ましなんか掛けられるわけない。

朝のまったりした時間を過ごそうと思ったのだが、寝坊してしまったのだから、それも叶わない。

「1日ぐらい会社休んだっていいじゃないですか? 副社長の権限で」

私は呑気に、支度している美紗子さんを見ながら言った。

「それがそうはいかないのよ。明日は役員の新年交礼会があるから顔出さないとダメなの。何にもなければ休んじゃうけどね」

「そんなに大事な行事なんですか?」

「大事なのよ。だから慌ててるんじゃない」

忙しく動き回りながら、美紗子さんは言う。

仕方がない、私も支度をするか。私の支度なんて、たかが知れてる。ものの10分もあれば終わってしまう。荷物を詰め込んで、服を着たら準備完了だ。メイクはしなくていい。あまり気にしない。

美紗子さんは違う。しっかりとメイクをする。言っては悪いが、その辺は年齢の差かも知れない。すっぴんでは街を歩けないということか。

とにかく30分で全てを済ませて、別荘を出た。名残惜しむ時間も与えられずに、私たちは空港に急いだのだ。

「あー、焦った。なんとか間に合ったわね」

ギリギリセーフの状態で飛行機に乗り込み、座席に座ると、美紗子さんは言った。

美紗子さんの話では、副社長だからといって、何もかも自由ということではないようだ。これは社長もそうだが、問題行動があまりにも目に着いたりすると、役員会にかけられて、解任されることもあるらしい。

美紗子さんも副社長を解任されたら、今の暮らしとはサヨナラしなければならない。また元の木阿弥で、一般人のような生活に逆戻りなのだ。もちろんハワイの別荘なんて維持できない。人間というのは一度、甘い汁を吸ってしまうと、それを手放したくなくなる。

新年交礼会を欠席するなんて以ての外なのだそうだ。それですぐに解任ではないが、そういうことの一つ一つが積み重なると、役員会にかけられるのである。

美紗子さんが副社長を解任されたら、私だって今の生活を捨てなければならないのだ。私の出世は美紗子さんあってのものなのだから。

私は飛び立った飛行機の中で、美紗子さんと手を繋いだ。

「昨日は気持ちよかったです」

私はそっと美紗子さんに耳打ちした。美紗子さんは笑った。

「もう、やめて、こんなところで」

「え? どこならいいんですか?」

「いいの、そういうことは」

「今度はいつエッチします?」

「それいちいち日程決めるの?」

もちろんジョークのノリだ。2人してクスクス笑った。

「あーあ、夢の時間は終わりか。明日からまた仕事なんですね」

現実に引き戻されるのだ。私のテンションはがた落ちだ。

「そうよ、気を引き締めて、がんばってやりましょ」

「そうですね」

今回の旅行で何かあると思ったが、やっぱりあった。それも私の理想通りの展開になった。美紗子さんの過去の話を聞いて衝撃を受けたが、それでも親密になれたのだから、私としては嬉しいことだった。

美紗子さんの体に彫られたタトゥーも、最初は驚いたが、今はそうでもない。ないと言ったら嘘になるが、峠は越えたというべきか。逆に美紗子さんの方が嫌かも知れない。私と肌を合わせる度に、それを私に見られると思うと、やっぱり苦痛だろう。

新年最初の出勤日、私は一人でオフィスにいた。午前中は新年交礼会で副社長はいない。また今日から美紗子さんのことを副社長と呼ばなければいけないのだ。会社では。

今年から本格的にCM制作に打ち込む。私はパソコンを使って、CM制作についての情報を集めた。それは美紗子さんの指示だった。

お昼の少し前に美紗子さんはオフィスに戻ってきた。

「お疲れさまです」

私は元気に挨拶をした。美紗子さんは無表情で「お疲れさま」と言った。冴えない顔で自分のデスクに座り、開口一番で言った。

「あなたがいた、営業企画部の廃止が決定したわ」

「え! 本当ですか?」

「今、役員会で決定したの」

椅子から立ち上がって、私は美紗子さんのデスクに駆け寄った。美紗子さんに笑顔は無い。

前から聞いてはいたが、ついにそのときが来たのだ。

「どうしてですか? 一体、誰がそんなことを言い出したんですか?」

「私よ」

「……え」

私は消え入りそうな声で言った。


つづく・・・



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# by sousaku63 | 2017-04-10 11:24 | ポジティブプラス